第二章 気づかせること 超マイナス思考人間 私が初めてキャプテンに指名されたのは、同志社大学4年の時だった。それまでPL学園でもキャプテンを務めたことなかったし、そいう立場とは無縁な性格だと自分でも思っていた。 当時の野口真一監督から部屋に呼ばれ「きょうからお前がキャプテンだ」と指名された日のことは今でも覚えている。 私は、超マイナス思考の人間である。日常生活でも、プレー中も、まずは最悪の事態を想定してから考え始める。そんな性格の人間が、チームスポーツのキャプテンを務めることができるとは思えなかった。PL学園では、立浪さんや片岡さんの背中を追い、先輩たちに引っ張ってもらっていた。最上級生になっても、同級生にチームをまとめるタイプの選手がいた。自分のプレーだけに集中していればよかったのだ。 しかし、キャプテンになれば、自分のプレーだけしていればいいというわけではなくなる。 同志社大学野球部は、スポーツ推薦の選手ばかりが集まった強豪校とは違って、一般入試で大学に合格して野球を続けている選手もいた。PL学園の時のように選手全員が自信満々でプレーしているのではなく、「下手くそでも一試合でも試合に出たい」「一本でもヒットを打ちたい」とひたむきにプレーしていた。 グランドは芝ではなく土のグランドだった。寮はあったが食事つきではなく自炊だった。とても恵まれた環境とはいえず、夏休みには多くの選手が引っ越しなどのさまざまなアルバイトをして生活費を稼いでいた。PL学園とはまったく異なる環境でプレーできたことで、私の野球観は変わっていった。 そんな環境のなかで私のキャプテンとしての理想像が磨かれていったのかもしれない。その理想像も時代とともに変化しているように思う。これだというものはないし、分からない。ただ、そのチームに合わせていく臨機応変さが必要だろう。キャプテンとして、こうすれば大丈夫、はない。日々変化を感じ、油断せずに対応することが大切だと思っている。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |