第二章 気づかせること 緊張していることで注意力が上がる 北京五輪のアジア予選前、アマ近畿選抜との練習試合で、登板予定のない主力選手がベンチで他の選手と、試合とは関係ない雑談をしていた。 私は、「自分の登板がない練習試合でも、代表の試合やろ、それでええんか」と言葉を発していた。野球は、四番バッター、エースばかり集まっても勝てるものではない。チームとしてお互いが結束してひとつになることが大切だ。ひとつになることは、簡単なことではない。キューバのようなチームであれば、代表というだけでまとまることができるかもしれない。日の丸を背負うと言われても実感をどの程度もてるものだろうか。代表としての重みを理解してもらうために、発した言葉だった。 アジア予選が始まった。07年12月1日初戦の相手はフィリピン。試合は10対0の7回コールドで日本が勝利した。試合には勝ったもののミスが目立った試合だった。私は、野手だけのミーティングを行い、サブロー(ロッテ)を名指しで怒った。 私は、その試合一塁コーチを務めていた。塁に出たサブローが牽制死した。一塁コーチを務めていた私の責任は明白だ。ただ、サブローには「本当に必死でやっているなら足からではなく手から戻るはずだ」と伝えた。 次の韓国戦では、接戦となったが4対3で逃げ切ることができた。選手全員がいい緊張感を持って試合に臨んでいた。私は、緊張は悪いことではないと思っている。緊張したら緊張したままでいい。緊張を自覚することは大事なことだ。緊張しているのをまず認めて、「では次にどうしたらいいか」と、思考を巡らす。そう考えることができれば、逆に注意力が上がっていいプレーすることができる。 自分を客観視することをメタ認知(認知を認知すること)というが、そのことを教えてもらったことがある。 アインシュタインは「人間の価値はその人がどれくらい自分自身から解放されているかによって決まる」ということを言っているという。自分にとって、自分が見えている世界がすべてではなく、第三者から見てどうなのかを客観視することが大切なのだ。メタ認知をすることで、自分を冷静に見つめ、緊張していても委縮せずにいいプレーができる。 もちろん、選手のなかには物怖じしない選手もいる。本選出場を決めた台湾戦のことだ。1対2と逆転されて迎えた無死一二塁。星野監督は私を二塁の代走に送った。ここでロッテの里崎智也がバントしたのだが、打球が投手の正面に転がって三塁がフォースプレーになった。必死のスライディングで結果的に無死満塁となり、この回に6点を奪って逆転することができた。後で里崎に「お前、ちゃんといいバントしろよ」と言ったら「あの時、いいバントしたら、一死二塁三塁で逆転できなかったかもしれませんよ」と言う。物怖じしない選手もチームに必要である。 星野監督は、選手とよくコミュニケーションをとっていた。遠からず近からず、選手といい距離感を保っていた。「闘将」といわれることが多いが、殴られる、怒鳴られるといった怖さではなく、鬼気迫る怖さであった。 チームのなかに、緊張感を与える存在は必要である。緊張感はネガティブなものではない。「うまくならなければ」という向上心。前向きな気持ちがあるからこそ、緊張するのだ。その緊張を何度も味わうことは今より前に進んでいることの証である。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |