よく聞かれます。 「え~っ、西部に住んでてジュビロ・ファンじゃないのぉ!?」 はい、生粋の西部県民ですが、気持ちがジュビロになびいた事は一度もありません、でもそれは何故かな? 少年時代は(ご多分に漏れず)野球ファン、それも定番の巨人ファンていう、いわゆる「巨人・大鵬・卵焼き」の世代です。 それが長島監督時代に些細なことでアンチ・巨人に変身! 以来、巨人が勝った翌日の新聞のスポーツ欄は一切読まず、負けた時は、深夜のスポーツニュースはハシゴして見てました。勿論翌日の新聞のスポーツ欄は穴が空く程何回も読み直す程のコテコテの巨人嫌いでした。 その背景には、大学生として東京に居た頃、世の中には大洋(当時)やヤクルトファンも居れば、なんとパリーグのチームのファンも居るんだぁと驚いた事に起因しているのかも。まあ冷静に考えれば、チームの数だけファンが居て当たり前なんですが、当時田舎から出てきた青二才には相当な衝撃だった訳ですよ。極めて単純な理由での思想転換?でしたが、これがマイノリティーも悪くない、といった意識に向かったのかもです。 で、話をサッカー(Jリーグ)に戻します。 Jリーグがスタートする以前、日本でのサッカーという競技の位置付けは決して高いとは言えなかったと記憶してます。 某有名人が「天皇杯で国立競技場を一杯になるとは思いもよらなかった」と言ったとか、言わなかったとか…。 僕が初めてJリーグの試合を観戦したのは、リーグが発足してしばらく経った時。最初で最後の「チャンピオンシップ・静岡ダービー」でジュビロスタジアムへ出かけた時です。 その時は両チームの殆ど選手名を知らず、ただただJリーグの試合をスタンドで観てみたいだけ、だからシートもサポ席では無く、メインスタンドのど真ん中で家族4人で観戦しました。 当時、全くサッカーの知識なんて無かった僕が観ていても、オレンジ色のユニフォームの背番号10番には驚きました。彼にボールが渡るとリズムが変わる、しなやかな動きでボールさばきも華麗…。この思いは隣で観戦していた、これまたサッカーど素人の女房殿も試合後に言っていたので、間違いはありません。 それに、両サイドの応援の華麗さ、テンポの良さも圧倒的にオレンジ色のサイドの方が上手かった、観ていて楽しかったのを覚えてます。 結局、最初で最後のチャンピオンシップ・ダービーはPK戦の末、ジュビロの戴冠で終わりましたが、この時以来、僕の中にはサックスブルーではなく、オレンジが気になる存在となりました。 まあ、スタジアムに参戦するようになるには、またそこから数年を要しましたが。 そういえば俺って№1とは無縁だったよなぁ…。 世の中が任天堂のファミコンブームだった頃はセガを買い、次にビデオはVHSじゃなくベータを購入。 そして初めて手に入れた携帯電話は、携帯電話ではなくPHS(ただしキャリアはNTTパーソナル)。1年後には本物?の携帯電話にしたものの、キャリアはドコモじゃなくてJフォン。その後色々あって今はau使ってます。 |