2016年03月06日(日) 

 

 

 


>こんにちは。いいですね、「平和主義」。世界中にいろんな「~主義」「~イズム」がある中で、これが一番心に響きます。ガンジーの「非暴力主義」もいいですが、日本には十七条憲法の『和をもって尊しとなす』があるので「平和主義」が日本らしくていいと思います。

釈迦如来の手のひらの上で、平和主義者らしくふるまって得意顔をしているのは誰ですか。それは孫悟空 (斉天大聖) である。国際舞台の準備・支度が無くては、舞台の上で有頂天の踊りなどできないでしょう。誰が立派な舞台を用意したのかを考えたことがあるでしょうか。孫悟空には世界観がない。だから、五行山の下で自由を拘束された。

>戦後、軍事力を行使しまくるアメリカの同盟国なのにも関わらず、日本が70年もの間戦争せずに国際貢献してこられたのはひとえに9条のおかげだと思っています。

国際貢献できたのはアメリカさんのおかげです。強者の怒りは抑止力になるからである。だが、9条などではない。弱者の願いは空念仏となり、現実を動かすには至らない。
何のお膳立てもすることなく、ただ特攻と玉砕戦法を繰り返していれば、我が国運は開けけるものと思い込むようなものである。精神主義か、妄想か。この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ。我が国民のメンタリティは今も昔も変わらない。

>あれがあるからこそ、血ではなく汗を流して、知恵をいろいろ絞り、国際的な問題を解決していかなくちゃいけないわけで。(つまり相当脳みそをフル回転させなくちゃいけないわけです。) しかも、それが可能だということを世界に知らしめたのがこの70年間の日本の最大の国際貢献だと思います。

自己中心的な考え方ですね。自分さえ善ければの考え方です。外国との相互扶助もなければ友愛もない。舞台の建設に汗を流してもいなければ、知恵を絞ってもいない。特攻・玉砕・精神主義への道。妄想の美辞麗句に酔って、その時々に歌を詠む。何の脈絡もない。最大の国際貢献だと思い込むのは勘違い。お膳立てに力を尽くしたのは、どこの国であるか。平和の基礎が無ければ何の建設できない。この世において、不可能を可能にして見せたのは、一体どの国ですか。

屁理屈と唯我独尊の状態で、のぼせ上がる。国粋主義の再来か。
唯我独尊の状態になるのは、議論ができないためである。議論ができないのは、自分自身に考えがないためである。考えが無いのは、世界観がないためである。借りて来た内容ばかりを頭の中に詰め込んで、体系だった世界観ができない。’ああ言えば、こう言う’ の形式の議論になる。曲学阿世は治らない。不毛の議論になっても後悔はないようだ。修身の徳目を暗記するような勉強では、人は教条的になる。自分自身の体系は得られない。哲学は一人ひとりに必要である。そうでなければ、自分自身の意見は語れない。

この世の中は、過不足なく成り立っている。非現実の世の中も、過不足なく成り立てば、それはその人の考えとなる。日本人には世界観 (非現実) がない。
’話の内容が現実離れしていて、信じることができない’ という。だから、話の内容が実況放送・現状報告ばかりになる。非現実の世の中の過不足は精査できない。だから、妄想になる。日本語では、非現実の文章内容自体が存在し得ない。そして、世界観比べが個人単位で議論にならない。そこで、唯我独尊の状態になる。

>他国が日本に銃を向けないのは、もちろんアメリカの後ろ盾もあるのでしょうが、この日本の国際貢献の在り方も相当な影響があるからと考えています。

友達の窮状をよそに、自己慶賀に力を入れる。国際社会の中で、名誉ある地位を占めたいと思うばかりである。序列メンタリティによる勝手な解釈により有頂天になり、国粋主義 (超国家主義) を醸し出している。独りよがりの奇妙な性格ですね。真面目になれない。今日も国際貢献ができるのは、アメリカさんのおかげです。アメリカさんよ、ありがとう。

>なぜなら、アメリカ自体がテロ国家に狙われ、他の同盟国も同じように狙われているにもかかわらず、日本はその標的からとりあえずは外されているのはなぜ?と考えるからです。日本の国際貢献のやり方がすごく大変なのは良く分かっています。が、実はこれこそ人類が求めていた平和的共存の方法の一つなのではないかと考えます。

‘自分さえ善ければ’ の考え方ですね。自分にも成り立つ、他人にも成り立つ内容ではない。自己中心的というのか、まるで子どものようですね。矛盾と同居した架空の世界に生きようとしている。地球村には、自分のほかに誰が住んでいるのですか。民主主義でやるのですか。意見発表はできるのですか。我が国の国際貢献のあり方を、どの国が下支えしているのかを考えたことはありますか。踊りを踊る練習ばかりに専念しているのではないのでしょうね。

>これを最大限アピールし、「普通の国」など目指さず、「特別な国」として世界中に認知をしてもらうことこそ「積極的平和主義」の肩書に沿うのではと思っています。

我が国は、世界の中にあって、世界に属していない ‘特別な国’ です。無哲学・能天気で常に孤軍奮闘して、高踏的か、哀しからずや。外国との相互扶助・友愛が見られない。

アメリカ人が日本防衛のために血を流すのは良い。日本人がアメリカ防衛のために血を流すのは良くない。片務協定を心から喜ぶ。安保ただ乗りか。その内容は、グローバルでもユニバーサルでもない。哲学ではなく、処世術である。非現実の内容は心にもなく、自己利益を図るための単なる口実として使われている。我々は、’あるべき姿・行き着く先’ を示さなくてはならない。日々の努力の積み重ねをどこにおくのか。その答えがなければ、我々の人生はその日暮らしになる。

 

日本人は、自分たち自らが立ち上がることはない。その意思がない。

為政者の圧力に耐えかねて、やむを得ず立ち上がる。減圧されれば、元に戻る。浪花節か。

混乱の後に新しい社会への移行は考えられない。それを誘導する世界観がない。

積極的に平和を築く基礎が無い。哲学が無いから水辺に漂う浮草・根無し草のようなもの。’積極的平和主義’ とは、自己利益を図る口実のことか。うまいやり方・処世術のことか。

漫画も哲学も、どちらの内容も非現実である。矛盾を問題にして淘汰すれば哲学になる。矛盾を問題にしなければ空想・妄想になる。英米は、世界のエリートを教育して哲学博士 (Doctor of Philosophy; Ph. D.) の生産国となった。空想・妄想の内容は漫画・アニメとして表現できる。我が国は、世界の子供に漫画・アニメを供給する漫画大国となった。’今のは、冗談で言ったのだ’ というばかりでは、真面目になれない。真面目になれない人たちが、和を尊ぶのは難しい。つかみどころがない相手では信頼できない。漫画は子供にでもわかるが、哲学はわからない。我が国には哲学が無い。だから、その政治家にも政治哲学が無い。議員は政治音痴になり離合集散を繰り返している。この行動様式を議員の本分と考えているのかもしれない。

 

 

.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数646 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/03/06 21:11
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
シンちゃんさん
[一言]
明るい未来社会を築こう
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=826219