2017年08月30日(水) 

 

>若者たちは、2000年代に入った頃から明らかに精神的に変わってしまったという。>30年近く各大学病院で思春期外来を勤めていた鍋田恭孝氏は、その著書『子どものまま中年化する若者たち』で、若者たちがどのように変化しているのかを克明に記している。

 

日本人は、無哲学・能天気ですから、昔から子どものような大人であったはずですがね。

 

> 「何とか立ち直ろうとする力が落ちている」

 

日本人には意思が無い。意思の無いところには、方法もない。無為無策・座して死を待つ。だから、立ち直れない。

 

> 「悩む力が落ちている」

 

誰でも悩みを持ちたくない、悩みは解消したいですね。解脱のみちを探したい。

 

> 「主体的に動く力も落ちている」

 

日本人には意思が無い。だから、主体的にはなれない。どうしても従属的になる。

意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制というものがない。だから、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。忖度 (推察) により、周りのものが面倒を見る。

 

> 「疲れない付き合いだけに限定する」

 

付き合い方は、ストレス解消を図る一つの手段になりますね。

 

> 「漠然たる不安を抱えている」

 

日本語には時制が無いので、非現実の三世界 (過去・現在・未来) は脳裏に残らない。過去は疾く風化し、一寸先は闇。不透明な非現実の世界に対して、日本人は漠然たる不安を感じる。

 

>これらに共通するのは、面倒を避け、対立を避け、トラブルを避け、自分が傷つかないように自我を必死に守り、傷つくくらいなら何もしないことを選択する受動的な生き方であると言える。

 

日本人には意思が無い。だから能動的でなく、受動的になる。無為無策しか残らない。

 

>多くの若年層が等しくそうした傾向になってしまったということは、教育の現場がそのような若者たちを作っているということでもある。(日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出している)

 

日本語脳の持ち主は、’考える人’ にはなれないでしょうね。だから、哲学の勉強は流行らない。

 

>○世の中には怒りを持たなければならない場面もある

>若者たちが同時期にこのような問題を抱えるようになったというのであれば教育が問題なのだと誰もが気付く。>若者たちの性格の傾向は受けた教育にも影響される。

 

なにしろ日本語教育ですからね。英米流とは違いますね。

 

>「面倒を避け、対立を避け、トラブルを避け続ける若者たち」が大量に産まれているということは、教育の現場で若者たちがそのようになることを求めたということである。

 

日本語は、議論に適していないので、対立を避けることによりトラブルを避けるしかないでしょう。これは、日本国家の方針とも一致しているのではないでしょうか。

 

>(中略)

>「みんな仲良くしなさい、協調性を持ちなさい」という面をことさら強調し、逆に強い信念や自分の主張をしないように抑える教育が意識的にも無意識的にも為されている。

 

いかなる内容に仲良くするのか、いかなる内容に協調するのか。無哲学・能天気では、自己主張はできませんね。

 

>(中略)

> 人は理不尽なことをされたら怒りを感じるものだ。

 

リーズン (理性・理由・適当) が無ければ、アンリーズナブル (理不尽) もない。怒りも定かではない。

 

>社会の不正にも怒りを感じるはずだ。

 

無哲学・能天気では、どうにもならないですね。正を信じられなければ、不正もない。

 

>弱い者がいじめられていても怒りを感じる。

 

力は、正義である。(Might is right). 自分自身の正義を実現させるためには、自分自身の力をを示す必要がありますね。

 

>そして、間違ったことがまかり通っているのを発見しても怒りを感じて当然だ。

 

無哲学でいては、自己に基準が無いので、何が間違いかもはっきりしませんね。

 

>あるいは、自分が、自分の家族が、自分の国が、おとしめられていても激しく怒りを感じるはずだ。

 

自己保存本能ですね。

 

>自分や自分の家族や国が他国の人間に馬鹿にされてヘラヘラ笑っているような人はまともではない。

 

ただの反発だけでは、解決しないでしょうね。

 

>意味のない怒りもあるのだが、一方で社会正義としての怒り、正当防衛としての怒りもある。

 

神様にも怒りがある。仁王は仏法の守護神であるが、不法に対する怒りを示している。そしてその実力を示している。強者の怒りは、抑止力になる。

 

>世の中には、怒りを持たなければならない場面もある。

 

その通りですね。だが、日本人は感情的になって恣意 (私意・我がまま・身勝手) の決定をしやすいですね。

山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘している。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。

 

 

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閲覧数442 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/08/30 09:50
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