> 就活、婚活、妊活、終活……「○○活」という言葉を見るたび、どう英訳したらいいのかと悩みます。これらは日本にしかない特有の言葉だからです。
就活は就職活動のことですね。
> 「○○活」という言葉には、ある1つのモデルが存在していて、それこそが正解であるというニュアンスがあります。
「○○活」という言葉は、試験問題のようなものですかね。
>この「唯一無二の理想がある」という考え方は、日本人のランキング好きにも関係しているように思います。
そうですね。日本人の理想は、序列の一位になることではないですかね。 日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、世俗的な上下 (序列) 判断は欠かすことができません。上下判断に疎い人は日本語の日常会話にも支障が出てきます。 その上、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、上下判断が疎かであっては、礼儀正しい日本人になることもできません。序列なきところに礼儀なしです。 人を見損なってはいけないという想いが、世俗的な序列の存在を探求してやみません。
>たとえば、偏差値、人気企業、芸能人のランキングなどです。
‘上と見るか・下と見るか’ の判断ですね。日本人の熱心にはそれしかない。数値による表現が可能ですね。オリンピック競技のようなものか。
(略) >ただ、ランキングがある限り、1つの指標に従った上下関係が生まれます。
それは、同次元序列の競争のようなものですね。 天皇を頂点とした序列国家のようなものかもしれない。
つまり「勝者」と「敗者」が作られるのです。
常に我が国民には勝者決定戦が必要ですね。ただ、天皇の存在が我が国民に天下取りを断念させています。
> 私たちの社会がある一定の指標を前提としている限り、その構造は変わりません。
日本人の社会は、人間序列を指標としていますね。
>ランキングがあれば、自分の頭で考えて判断しなくて済みますから、人間はある種の「秩序」というか、一見もっともらしい理由にすがって安心したいのかもしれません。
そうですね。我々日本人は序列人間ですから、序列の存在を確認すればメンタリティ(考え方) が救われますね。個人の基準による判定から解放されることになりますね。
>しかしながら、そうした指標が妥当かどうか、または自分にとって役に立っているかどうかはまったく別の話です。
それはそうですね。世俗の上下には理不尽なものが多く含まれているでしょうね。何しろ日本人には批判精神 (critical thinking) がありませんからね。自然放置の状態です。
> 常に満たされない日本人 > 日本人はよく自信がないと言われますが、それにも「○○活」好き、「ランキング」好きの国民性が深く関係していると思います。
そうですね。わが国には、‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク) 国民は無哲学・能天気ですから、 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)
>なぜなら、ある1つのモデルを理想にしていると、いつも何かが「足りない」からです。
日本人には、個人的な世界観 (world view) がない。だから、世俗的な価値観を現実の中の他に求めなくてはならない。’期待される〇〇像’ ということになるのかな。
>ある理想像のもとでは、私たちは常に「減点評価」の対象になります。
そうですね。ある理想像 (非現実) のもとでは、私たち (現実) は常に「減点評価」の対象になりますね。そして我々は、その理想像をわが国家の為政者に求めていますね。現人神とか皇民化教育の始まりですかな。
>すると自分の能力や努力が足りないという強迫観念に急き立てられ、いつまでたっても満たされることがありません。
そうですね。為政者の理想像に近づこうとする生涯の努力を必要とする哀れな人間ですね。
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