>357480 「共感」を過剰に求める社会的風潮 >匿名希望 20/06/07 PM08 【印刷用へ】 >共認充足を封鎖しているのは、狂った仲間圧力。 > 他者否定・自己正当化の自我原理→嫌われたくないから周りに合わせる。 > 本当はみんなと仲良くやりたいのに、その本心を封鎖して表層的な関係に終始している。 >リンク より引用 > (前略) > 最近の若い人って、あまり「つるんで遊ぶ」ということをしなくなったように見えます。 >特に若い男性だけのグループで楽しそうにしているのって、あまり見かけません(僕が学生時代はどこに行くにも男たちのグループでぞろぞろでかけていました)。
そうですね。若者の社会探訪ですね。
>若い人があまり活動的でないのは、もちろん第一に「お金がない」からだと思います。 >訊いても、たぶんそう答える人が多いと思います。
そうですね。学生は、働いていないのですから自分の金はありませんね。
>でも、それ以外に、「口に出されない理由」があるんじゃないでしょうか。 >それは他人とコミュニケーションするのが面倒だということです。 > 人と付き合うのが負担なので、あまり集団行動したくないという人が増えている気がします。
そうですね。現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。楽ちんである。正解はただ一つである。 非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。 理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。
>でも、またいったいどうして「他人とコミュニケーションするのが面倒」だというようなことが起きるのでしょうか?
[意思について] 日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。 日本人には意思はないが恣意がある。意思は未来時制の文章内容になるので意味があるが、恣意はバラバラの単語 (片言・小言・独り言) のままで存在するので意味がない。
> 僕は若い人たちが他人とのコミュニケーションを負担に感じるようになったのは、共感圧力が強すぎるせいじゃないかと思っています。
そうですね。共感圧力とは、ご唱和を要求する社会的な圧力の事ですね。
> 今の日本社会では、過剰なほどに共感が求められている。
日本人には自己主張がない。だから、共感圧力が絶対的なものに見えています。
>僕はそんな気がするんです。>とりわけ学校で共感圧力が強い。>そう感じます。
そのために学校は存在するのではないでしょうか。
>喜ぶにしろ、悲しむにしろ、面白がるにしろ、冷笑するにせよ、とにかく周りとの共感が過剰に求められる。
共感の内容が正解ということになるのでしょうね。
> (中略)
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