2021年05月27日(木) 

 

 

>趣が変わったのは明(1368年-1644年)の時代です。>この頃になると朱子学の影響が強くなり、出題範囲は四書五行(論語、孟子、大学、中庸、易経、詩経、書経、礼記、春秋)に限定されます。>ひたすらこれを暗記したものが科挙に合格するようになったのです。

 

古典の内容だけでは、官僚は実社会の要求には答えられないでしょうね。   

 

>では、どのような人間が科挙に合格するかというと、記憶力が良く、親がお金持ちで、子どものころからひたすら科挙合格に時間を使った人間です。>時代によって制度も変わるのですが、科挙にはいくつかのステップがあり、概ね30代後半で最終試験に合格するというのが、合格者の一般的なパターンでした。>子供のころからカウントすると、30年以上ひたすら科挙合格に向けて頑張った人間が合格するわけです。>合格できない人間は、60歳、70歳まで試験を受け続けたとも言われます。  

 

年齢制限のない自由競争でしたね。    

 

>一族からの期待があまりに高かったため、期待に応えられずに発狂したり自死を選んだりした人間も多かったと言います。  

 

受験勉強の悲劇ですね。生きるためには期待に応えない勇気が必要ですね。      

 

>しかし、ひたすら儒学関連の古典を記憶した人間が実務者として優秀かと言えばそんなことはないのは容易に想像がつきます。  

 

そうですね。天下の秀才が実務者として適任かどうかということですからね。   

 

>実際、明代では、科挙に合格したからといって、実務者としては必ずしも優秀ではない人間が数多くいたようです。>それでも明の政治がそれなりに回った背景としては、そうした官僚の限界を補う一群の存在がありました。>それは宦官です。

 

宦官は去勢された男性ですね。去勢は牧畜民族の家畜飼育法に関する一つの大切な技術ですね。それを人間に応用したのでしょう。      

 

>宦官は男性器を切除された、皇帝の世話役、補佐役です。>日本人の感覚からはなかなか理解しにくい存在であり、中国からさまざまな文化を吸収した日本でも、宦官という制度を取り入れようとしたという話は、筆者は寡聞にして知りません。

 

我が国は農耕民族の国ですからね。我々は牧畜民族の習慣をすんなりとは受け入れられませんね。   

 

>宦官は、学(といっても四書五経に限定されたものですが)こそありませんでしたが、世間知に長け、また、科挙合格者にはない度胸や才を持ち合わせていました。>中国史に残るトラブルを解決したのが宦官だったという話も多々あります。>宦官と科挙合格の官僚が絶妙のバランスで牽制しあい、難局においては協力したことが、中国の政治を支えたのです。>しかし、科挙の制度は時代を下るにしたがって、どんどん自己目的化し、優秀な人材の輩出という機能を失っていきます。  

 

宦官も官僚も自己改革には興味が無かったのですね。

 

>清代になると、古典を知っていることが最高のことであり、実際の政治は俗事として下に見なすようになったとも言われています。>しかし、科挙の運営が科挙合格者によって運営されているのですから(名目上は皇帝直轄の試験ではありましたが)、その制度は容易には変わりません。   

 

科挙の合格者も自分たちの既得権益の温存に励みましたね。   

 

>それでも中国一国で物事が完結しているうちはよかったのですが、19世紀になると、西洋の列強が科学技術なども武器にして中国に攻め入ってくるようになります。 >1840年のアヘン戦争がそのさきがけです。 >これには当時の科挙合格者は全く対応できず、宦官も役には立ちませんでした。

 

我が国の開国の時の幕府と同じ状態でしたね。   

 

 

 

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閲覧数310 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/05/27 17:30
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