2021年08月22日(日) 

 

 

>陸軍士官学校はどうだったでしょうか。 >それは1918年のシベリア出兵でよく見えます。 >ロシア革命の列強国による干渉戦争だったこの派兵は海軍長老の山本権兵衛や原敬首相の日米共同歩調の政策・指令に対して、陸士-陸大出身者により率いられた陸軍参謀本部はこれを無視し、列強国が撤兵した後も何の展望も戦略もなく駐留し続けました。 >目的もなく極寒の地に駐留させられる兵士達の中に不満が渦巻きました。 >このときの陸大卒の司令官津野一輔は荒んだ兵士達の略奪強姦を鎮めるために陸軍公認の慰安所を設置しました。 >従軍慰安婦問題の先駆けです。 >結局この派兵は当時の国家予算12億円に対して9億円を浪費し、尼港事件のような多数の日本人の命が失われ、その挙句に日米関係の悪化と世界的な孤立という歴史的に全く馬鹿げた派兵に終わりました。  

 

日本人には文民政治の価値がわからなかったのですね。 国民が思考を停止している国にはどのような特徴があるでしょうかね。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 '日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。'  (ウスビ・サコ)   

 

>国内では高騰する米価の調整に官僚主導の行政が失敗し、軍需品にかこつけた買占めが横行して日本経済は深刻なインフレと不景気に見舞われました。 >米騒動という国民の暴動が各地に起こりました。 >また、この派兵をめぐる国際外交では、後に首相となる幣原喜重郎駐米大使の失敗につぐ失敗の外交が挙げられていますが、幣原は陸軍に対して外交は外務省一元外交である旨を通告し、現在の省庁縦割り行政の先駆けになりました。

 

序列社会においては縦割り行政しか能率よく稼働できませんね。   

 

>陸軍は「戦争遂行に素人は口を出すな」、海軍は「海戦に素人は口を出すな」の首相や元勲をも超える縄張り意識が難関出身者達の間で深刻に形成されていった時でもありました。  

 

わが国では、難関出身者がもてはやされる。国民にリーズン (理性・理由・適当) というものがないからである。日本人からはリーズナブルな答えは期待できない。  

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)     

 

>さて、シベリア出兵後のインフレ不況から大正13年に関東大震災が起き、日本経済は更に打撃を受けました。 >ここで山本権兵衛が再度内閣を組織しますが、摂政時代の昭和天皇暗殺未遂事件が起きてまたも退陣し、選挙管理内閣の清浦の後をついで東大首席の加藤高明が首相になりました。 >次のやはり東大首席の若槻礼次郎内閣のときに昭和の金融恐慌が起こりました。 >これは震災手形と呼ばれた債権が文字通り不良債権化したことから起きた恐慌で、破綻する銀行が相次ぎましたが若槻内閣は有効な手を打てず、総辞職します。  

 

天下の秀才ばかりで、わが国はどうにもなりませんね。序列信仰による我が国民への天罰ですね。        

 

>昭和天皇は明治天皇と同様に文官官僚による政治運営を希望したと伝えられていますが、東大卒外交官の幣原喜重郎の曖昧自由主義外交や若槻の経済失政の混乱で、長州閥陸大出身の田中義一内閣の登場を許すことになりました。

>田中は一転して文官官僚の政策を軟弱とみなし、外交方針も軍縮も全て反故にし、シベリア出兵の教訓を生かすことなく満州侵略の野望を膨らます満州関東軍参謀の陸大出身板垣征四郎や石原莞爾の暗躍を許すことになります。

>同じ関東軍参謀であった東條英機は、戦後の東京A級戦犯裁判の法廷で、「自分は天皇の忠実な臣下として戦ったまでだ」と答え、ならばこの戦争は天皇の意思・命令によったのかと尋ねられると、「自分が独断でやった」と言葉を変えています。 >これが真実だと思いますが、明治維新後に嘱望された日本のエリート達は陸士、海兵、或いは東大卒以外の人間の言葉には耳を貸さないという想像を絶するエリート意識の権化となり、それは天皇にまでも及ぶ凄まじいものになっていたのです。

 

我が国民の序列信仰のすさまじさですね。ちなみに、昭和天皇が送ったとされる手紙の全文はこちらにあります。

  『手紙をありがたう しつかりとした精神をもつて 元気で居ることを聞いて 喜んで居ます。 

   国家は多事であるが 私は丈夫で居るから安心してください 今度のやうな決心をしなければならない事情を早く話せばよかつたけれど 先生とあまりにちがつたことをいふことになるので ひ かへて居つたことを ゆるしてくれ 敗因について一言いはしてくれ   我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである   我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである   明治天皇の時には 山県 大山 山本等の如き陸海軍の名将があつたが 今度の時は あたかも第一次世界大戦の独の如く 軍人がバツコして大局を考へず 進むを知つて 退くことを知らなかつたからです   戦争をつづければ 三種神器を守ることも出来ず 国民をも殺さなければならなくなつたので 涙をのんで 国民の種をのこすべくつとめたのである   穂積大夫は常識の高い人であるから わからない所があつたら きいてくれ   寒くなるから 心体を大切に勉強なさい   九月九日           父より   明仁へ』 

 

>まさにおのれの自尊心や虚栄のためならこの国が滅びようとも変えないという「詰め込み教育欠陥人間」と呼ぶにふさわしい最低の日本人に成り果てた姿でした。  

 

そうですね。見栄と外聞の世の中ですね。 無哲学・能天気の人では困ります。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>張作霖爆殺にはじまる満州事変の勃発で、昭和天皇から叱責されて退陣した田中内閣の後を東大次席の浜口雄幸が引き継ぎますが、彼が片腕と頼む井上準之助の緊縮経済や金解禁は見事に失敗に帰して、日本経済は破綻寸前に追い込まれました。>浜口は恐ろしいほどの頑迷実直さで、井上はその傲岸不遜のためにテロに倒れますが、日本経済を救うのはまたしても金融恐慌のときの大蔵大臣、かのヘボンが創立した明治学院出身の高橋是清の積極経済政策でした。   

 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官) 

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。    

 

 

 

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閲覧数618 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/08/22 03:41
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