>2021-08-23 >戦前から顕在化していた、詰め込み教育の弊害2 >「戦前から顕在化していた、詰め込み教育の弊害1」から続く。 >大正から昭和へと時代が進むにつれて、試験エリートたちの失策は止まらなくなる。
なにしろリーズン (理性・理由・適当) を知らない人たちの政治ですからね。 盲目の判断による失策は無理もありませんね。
>その中で太平洋戦争直前期、少数ながらも、試験制度⇒詰め込み教育の弊害に警鐘を鳴らす人物も登場する。
それは時代の先覚者ですね。
>『新糾弾掲示板』「スレッド<官僚論・東大論」からの引用。>「粛軍演説」とは1936年5月7日に帝国議会の衆議院で斎藤隆夫議員が行った演説。>寺内寿一陸軍大臣に対して「革新」の実体の曖昧さを突き、広田内閣の国政改革の大要の質問を行った後、軍部革正(粛軍)を軍部に強く要請すると同時に議会軽視の傾きのあった軍部を批判した。
無哲学・能天気では実体の曖昧さは避けられませんね。 >-------------------------------------------- >政治を壟断する東大卒官僚を見下すことが出来る人間は、日本には陸軍大学と海軍大学卒業生しかおりませんでした。
いずれも無哲学・能天気ですね。’上と見るか・下と見るか’ の作法が激しく行われていますね。我が国民そのものの低能の表れですね。
>海外の先進的教養や文化を学ぶ機会を奪われて五・一五事件、二・二六事件を起こした畸形人間の彼らには、この国の行く末など眼中にはありませんでした。 >ただ一言、狂気が支配していたのです。
日本人には世界観がない。だが、政治の生命は未来を先取りすることにありますね。それができない国民は政治音痴のままで居ますね。現実の世界で激しくうごめいています。 '日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。' (ウスビ・サコ)
>昭和12年の二・二六事件の直後に行われた斎藤隆夫の粛軍演説は、外交主導で戦争回避を願ったとされる東大首席の広田弘毅を前にして行われましたが、厳しく粛軍を迫ると同時に政治姿勢や教育にも及びます。 >それを引用します。 >「広田首相の声明の中には、確乎不抜の国策を樹立して以て之を実現する、・・一方に政策と云う言葉がある。 >国策と政策とはどう違うのであるか、甚だ曖抹に用いられて居りまするが、併し国策と云う以上は、少くとも日本国家の進むべき大方針であるに相違ない、日本国家の進むべき大方針が、今日に於ても未だ決って居らぬ、是から研究して決めるなどと云うことは、私に取っては甚だ受取れない。」
我が国の ‘国家の未来像’ が定まらないのは政治音痴のせいですね。日本語を話す日本人には未来の世界を描いて見せる術がない。
>「学制改革は今日世界文明国に於て最も重大なる問題となって居るのであります・・・・然るに我国の教育は如何なるものであるかと云うと、・・所謂過度の詰込主義に偏して、精神主義、人格主義を殆ど無視して居る、是が為に中途に倒れる者がどれだけあるか分らぬ、斯う云う時代遅れの教育を施して居りながら、所謂躍進日本の運命を担えと迫った所で、是が出来ることか出来ないことか、考える迄もないことである。」
そうですね。’躍進日本の運命を担え’ はまさ絵空事ですね。わが国は現実の世界を迷走することになるでしょう。
>こうしてこの日本の国は亡国の大東亜戦争に突入してゆくことになりました。
非現実 (考え) の内容を現実の内容に変える政治の努力が必要ですね。さすれば、国民は希望に満ちた生活が送れます。現実界をうごめいているだけでは亡国の民族となります。
>点数序列の優越意識に固まった暴力集団の軍事官僚を前にして、「ああ玉杯に花受けて」の官僚達は手も足も出せず、おのれの無力を呪うわけでもなく、同じ狂気の次元で暴力に加担し、国民を見下し続け、同じ亡国の道を先導したのです。
それは亡国の民族の作法ですね。その機序 (mechanism) を解明し改善する方針を立てないと改革は絶望的ですね。
>国家最高峰の難関の門など虚構に過ぎないことを虚しく伝えています。
序列人間のリーズンの無さをさらけ出していますね。序列メンタリティの無力感ですね。
>----------------------------------------- >『るいネット』「試験制度の問題性はどこにあるのか?」で試験制度の問題性が提起されているが、問題性の一つは、試験制度の下では必然的に詰め込み教育化してゆくという点にある。
そうですね。試験制度は詰め込みの度合いを試験する制度ですからね。思考を停止している国民には半ば必然的なものですね。 ‘信じて丸呑みするためにも読むな。話題や論題を見つけるためにも読むな。しかし、熟考し熟慮するために読むがよい。’ (フランシス・ベーコン) ‘読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。’ (アルトゥル・ショーペンハウエル)
>そして、詰め込み教育の弊害は既に戦前の段階で顕在化していた。
その教育の機序を探求する知的作業が必要ですね。日本人の真の学究心が求められていますね。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
>詰め込み教育というのは戦後の話だと思っていたら大間違いで、詰め込み教育の勝者が特権階級の座に座るという構図は戦前から続いてきたのだ。
そうですね。無哲学と序列作法はわが民族の伝統のようになっていますね。この伝統を破壊する知的な作業がわが国の発展には必要ですね。
>このように、戦前~現代を通じて、試験制度⇒詰め込み教育が無能な特権エリートを作り出す元凶であることは、疑いようがない。
そうですね。疑いようがありませんね。どうもご苦労様でした。
.
|