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2014年03月09日(日) 
 めぐりあいが人生ならば、素晴らしき愛情にめぐりあうのも
 これ人生であります。
              第7作『男はつらいよ 奮闘篇』から
 柴又駅のほど近くに、柴又八幡神社があります。帝釈天題経寺とともに、地元の人々の鎮守様として、古い歴史がある神社です。この社殿の裏手に、古墳があります。
 1965年から発掘調査が進められ、99年の第3次学術調査で、六世紀、古墳時代の土師器や須恵器が発掘されました。
 そして2001年8月4日。この古墳から、人物埴輪が発掘され、大きな話題となりました。なんとその埴輪は、帽子をかぶり、切れ長の細い目の容貌が寅さんそっくりなのです。そこで「寅さん埴輪」と命名されました。
 ぼくが驚いたのは、柴又八幡神社で「寅さん埴輪」が出土した日が8月4日、つまり渥美清さんの五回目の命日だったことです。発掘に当たった「葛飾区郷土と天文の博物館」の谷口榮さんは、その日が渥美さんの命日だったことを、後で知り、驚かれたそうです。
 しかも谷口さんによれば、「寅さん埴輪」の額に白い線が入っているのは、帽子がズレないための鉢巻だそうです。鉢巻に帽子、といえば、ぼくらにとっては寅さん、そのものです。
 42,43ページで、奈良時代の柴又一帯の戸籍簿「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」に、「トラ」と「サクラ」の名前があると、不思議な話を紹介しました。さらにさかのぼること古墳時代に、「寅さん埴輪」が埋められ、01年の渥美さんの命日に掘り出されたのです。
 「めぐりあいが人生ならば」とは、寅さんの啖呵売の口上です。寅さんはめぐりあいの縁を大切にします。出会った人や訪れた土地との縁です。
 山田洋次監督が柴又とめぐりあったのが、『下町の太陽』(63年)のシナリオ作りのために、当時葛飾在住だった作家の早乙女勝元さんを訪ねて来た62年のこと。そのときも「寅さん埴輪」は柴又八幡神社の境内に眠ったいたのです。69年から95年にかけて「男はつらいよ」シリーズが、この土地で撮影されていたときも、ずっと眠っていたのです。
 ぼくは「寅さん埴輪」や「奈良時代のトラとサクラの戸籍」に、柴又と寅さんの不思議な縁と、はるかなるロマンを感じるのです。
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 誤字脱字写し間違いあります。

閲覧数984 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/03/09 11:56
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