第三章 守る意識 指先の感覚 飛び抜けた能力がないと感じながら野球を続けてきた私だったが、ひとつだけ他の選手よりも優れていると思えるものがあった。それはボールを投げる感覚だった。 ボールを投げる瞬間、このまま投げたらスライダーするなとか、シュートするなというのが感覚として分かる。それだけなら同じ感覚を持つ選手もいると思うが、そこから意識して修正するというのは、なかなかできるものではない。指先の感覚で修正する能力は、他の選手より優れていたと思っている。 例えば、このまま投げたらスライダーしそうだなと思ったら、人差し指のほうにグッと力を入れて投げればいい。このままだと抜けるなと思ったら、指先で上から押さえつけるようにして投げる。今度は引っかかりそうだなと思ったら、わざと抜いて投げられるようにしていた。 偉そうな言い方をすると、普通の人の感覚が分からないので、これぐらいは誰でもできるものだと思っていた。ただ、19年間見てきたなかで、チームメートのなかで同じ感覚で投げているなと思ったのは、古田敦也さんぐらいだった。ヤクルトの森岡良介からは「慎也さんは、どうしてツーシームの握り方でも真っ直ぐに投げられるんですか?」と聞かれたこともあった。 ここに分かれ道があると思う。最初は誰でもできないのである。例えばショートでゲッツーを狙う場面を思い浮かべてもらいたい。たとえ変な握りでボールを握ってしまったとしても、セカンドまではすぐそこだ。「その辺には行くやろう」と思って、不恰好でも投げてみればいい。 ところが、最初からそれをやらない。だから、ずっとできなくなってしまう。握り直してから投げていたら、いつまで経っても難しい握りで投げることはできない。無意識で握り直す癖がついてしまえば、投げることすらできなくなってしまう。 よく古田さんが言っていたことだが、キャッチャーがバチッとボールを握ることは少ない。ピッチャーが投げたボールを捕球してから、すぐにボールを握るのである。ほとんどがきちんとは握れない。そういうなかで投げなければいけないのだから、「あかん、ボールが抜ける」と思ったら、ワンバウンドで投げていたという。いつも握り直してから投げていれば、そういう発想をすることもできない。 PL学園高校時代、親父に指摘されて「確かにそうだな」と気づかされたことがあった。上宮(うえのみや)高校と試合をした時、相手のショートを一学年下の元木大介(元巨人)が守っていた。いつもなら三遊間への深い打球はワンバウンドで一塁に投げるのだが、その時はノーバウンドで投げた。送球が少し高めに逸れてセーフになったのだが、試合後に親父に「あれは元木を意識しただろう」と言われた。大型遊撃手として注目されていた元木は、当時から四番を打っていた。同じ遊撃手として私のなかに「守備だけは私の方が上だと思わせたい」という思いがあったのだと思う。普段はやらないことをやろうとして、ノーバウンドで投げてセーフにしてしまった。 「能ある鷹は爪を隠す」ということわざがあるが、ない爪を出すことはできない。ところが、力がないのに必要以上に爪を出そうとしてしまうことがある。前述した森岡の場合、肩が弱いと思われたくないという思いから、どんな打球でもノーバウンドで投げようとしている風に見える時がある。 結局は自己評価が大事なのである。自分の力を認めていないと、その時その時によいプレーをすることはできない。何かを隠そうとしたり、ちょっと良く見せようと思ってプレーすると実力を出せないのである。「俺の実力はこの辺だな」と正当に評価できるのが一番だ。自分の実力以上に評価してしまってはダメだし、ちょっと下ぐらいならいいが、あまり下すぎると、今度は自分で限界をつくってしまうことになる。過信してもダメだし、卑下してもダメなのだ。 私の場合は、自分のプレーをビデオで見返すことで自己評価しようとしていた。実際の映像を観ることで「思ったよりもできてるな」と思うこともあれば「自分のイメージと違うな」気づかされることもあった。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |