『物語に餓える』は解かります。
私個人のことですが・・
色々な時があります。
餓えているのに、文章が頭にも心にも入らず、
流行りモノのミステリーしか読めなかったり、
好きな作家さんでも、短編ばかりだったり・・
(母を亡くした時は、一年間
赤川次郎さんしか読めませんでした・・・)
自分好みの、しっくりした本を、
満足いくように読めると、うれしいです。
でも、なんであれ、読んでいると落ち着くのです。
良い物語があったら、教えてくださいね。
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昨夜、NPOスローライフ掛川定例会の雑談で「言葉に餓えている」という話が出たのだけれど、私の場合、今まさに「物語に餓えている」。 仕事で文章を書き、資料として本やネット上の文章を読んでいるから、決して活字や言葉に餓えているわけではない。 でも最近、物語から遠ざかっているのだ。物語世界にとっぷりと浸りたいと、切実な欲求がふつふつと沸き起こっている。 これは、 自転車乗りがしばらく自転車の乗っていないと無性に乗りたくなるように、 酒飲みがお酒を飲まないと禁断症状が出てくるように、 中毒のように物語の世界に浸りたくなるのだ。 さて、お正月にテレビばかり見ていたとき、目の前で勝手に展開される世界に「へ~」とか「ほ~」とか思いながら、「テレビばかり見ているとばかになる」という言葉を思い出し、でも待てよ、本だって同じじゃんとふと思った。ドイツの哲学者ショーペンハウエルが、『読書について』の中で「読書は他人にものを考えてもらうことである」「本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるに過ぎない」と書いているように、本だって作者の見た世界(考える世界)を「へー」とか「ほー」とか思いながら追従しているに過ぎないからだ。 でも、と思う。 それだっていいじゃんかと。 私は物語の世界を読みたいのだ。 映像ではなく、文章で。 読むぞ、今日から、さっそく。帰ったら本棚に直行するぞ。 そこで今度は、同じ物語世界でも、私は映画のような映像ではなく、小説のような文章で読みたいと思うのはなぜだろうと考える。 …こうして、久々に日記を書こうと思いたってから50分。文章はまとまらず、お昼休みは終わりを告げ、わけのわからん思考と文章(717文字。原稿用紙2枚弱)だけが残ることとなった。 |