無財の七施・・・。
心がけてますが、内心の乱れがあって、
出来そうで、出来ません。
居合と同じで、生涯稽古を心がけます。
夜回り先生のエッセーです。中日新聞からの貼り付けです。 子どもたち、先日私はとっても幸せな一日を過ごしました。その日は、朝から東京の外国系通信社で取材を受けていました。朝、会社の受付に行くと、二人の受付の方、二人とも外国人の方でしたが、満面の笑みで「いらっしゃいませ」。とても幸せな気持ちになりました。五階の会議室に行くまで、エレベーターホールでも、廊下でも出会う外国人の人たちは目が合うたびに会釈し、ほほ笑んでくれます。とても幸せな気持ちで取材を受けることができました。 昼前に、私はその取材を終えて、駅へと歩いたのですが、その日は、暑い日でした。道行く人たちは、その暑さの中でみんな厳しい顔。目と目が合っても、ただうつろに視線を外し、からだがぶつかって、私が「すみません」と謝っても、何の返事もありません。何か、午前中に温まったこころが、外の暑さにもかかわらず、どんどん冷えていきました。 子どもたち、君たちに聞きたいことがあります。君たちの家は、学校は、どうですか。私が午前中に訪問した会社のように、笑顔があふれていますか。優しい丁寧なことばが、満ちていますか。それとも、私がこの日の午後経験した街のように、冷え冷えとした、無機質なものですか。 子どもたち、私は学生時代から、仏教を勉強しています。仏教では、自らが幸せになるお金を使い、困っている人のために募金や寄付をする。施設を造ったり、食事を提供する。これが、人を幸せにし、そして自分も幸せにしてくれるという教えです。 でも、お金が無い人は布施ができないのか。そうではなく、その人たちにもできる布施、それが「無財の七施(しちせ)」です。「和顔施(わげんせ)」、だれかと目が合ったら笑顔を返すこと。「眼施(げんせ)」、いつも、優しい目で人と接すること。「言施(ごんせ)」、人に優しいことばをいつもかけること。「身施(しんせ)」、ゴミを拾ったり、人が落としたものを拾ってあげたり、からだを使って人のためになることをすること。「心施(しんせ)」、人に、思いやりのこころで接すること。「床座施(しょうざぜ)」、人に席を譲ること。「房舎施(ぼうしゃせ)」、人を家に泊めてあげること。 子どもたち、どうですか。このうちのいくつかは、今すぐに君たちでもできることではないですか。それが君たちの家庭や街、学校を、とても優しさのあふれる、そして笑顔に満ちた、幸せなところにしてくれます。そして、それが、君たちのこころを優しさに満ちたものにしてくれます。君たちを幸せにしてくれます。やってみませんか。 「子どもたち、子どもたち」と呼び掛けていますが先生は「大人の皆さん」 お手本になれますかと云いたいのだとおもいます。 |