高間さん
ご立派です!
さすが
住職さんですね!
これから
7年間、健康に気をつけて
2度目の五輪をテレビ観戦したいと思います(^_^)v
『東京五輪標語を考えた』【世界は一つ今も信じ】 世界中の国旗がひしめくグランドに思わず息をのんだ。ふとひらめいた、あの言葉と同じだったから。 東京五輪が開幕した1964(昭和39)10月10日。13歳だった高間公平さん(62)=名古屋市中区=は、7万人以上で埋まった東京・国立競技場の観客席にいた。肌や髪の色が違う各国の選手団が入場行進し歓声と拍手がとどろいた。「世界は一つになったんだな」 日本初の五輪開催にあたり、組織委員会は標語を募った。全国から寄せられた36万点の中から選ばれた言葉は「世界は一つ 東京オリンピック」。愛知中学(名古屋市千種区)2年だった高間さんの作品だ。 曹洞宗・乾徳寺(同市中区)の次男坊で、寺の電話番号の下4桁は五輪開催年と同じ「1964」。住職の父が縁を感じたのか、家族全員に標語を書かせ応募した。「ぱっと浮かんだ言葉をそのまま書いた」 ごほうびに開会式に招かれ、2日前の夜、雨の降る中を母と一緒に名古屋駅から、開通したばかりの新幹線に乗った。窓につたう水滴がすーっと真横に流れるのを見て、「本当に速いなあ」とわくわくした。翌日は開幕直前の国立競技場を見学し、聖火台にも上がった。 大歓声の中、聖火リレーの最終走者が火をともすと、「おれ、昨日あそこに上がったな」とうれしくなった。航空自衛隊のジェット機が煙で青空に描いた五つの輪。羽ばたく8千羽のハト…。「一生の運を使い果たしたなあ」。そう思うぐらい、濃密の時間だった。 標語が選ばれ100万円の賞金をもらった。サラリーマンの月給が2~3万の時代。10段変速のサイクリング用自転車を買い、寺の前に置いたら3・4日後に盗まれてしまった、それも五輪の思い出の一つだ。 「偉い人」にも会った。国際オリンピック委員会(IOC)ブランデージ会長(当時)。東京五輪の一年後、名古屋で一緒に食事する機会があった。握手を交わすと、「国際的な感覚を持って活躍するよう期待します」と言われた。 「その言葉がずっと胸に残っていたんでしょうね」。寺を継ぎ既に住職になっていた96年、仏教国のスリランカで幼稚園の園舎を建てるため、寺の浄財から200万円寄付した。歯科医師もしていたことから何度も現地に足を運び、子どもたちに歯ブラシを配って磨き方を教えた。 「世界は一つ」と感じたあの日から、もう半世紀。だが、世界各地で紛争やテロのニュースは絶えない。周辺国との関係が冷え込む日本では政権が盛んに「国防」を叫び、どことなくきな臭い。 子供が考えた標語は幼稚な理想論だったかもしれない。でも当時の多くの日本人はそれを信じたし、高間さんは今も信じる。みんなが「世界は一つ」と思えば、未来は変えられると。 「決まって良かった」。7年後、またあの場所から一つになった世界を眺めてみたい。 目を通して戴きありがとうございました まーちゃ。 |