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2013年09月12日(木) 
『新幹線の元運転士』【運んだ観戦客の笑顔】
 東京・国立競技場を目指す聖火が、岐阜県に入った1964(昭和39)年10月1日の午後8時。東京駅ホーム出発を待つ下り最終列車「ひかり29号」の運転席では、当時32歳の川崎由蔵さん(81)=静岡市葵区=ゆっくり呼吸を整えていた。
 東海道新幹線はこの日早朝に一番列車が走ったばかり。ホームの人だかりは夜になっても消えなかった。開業当日に運転する緊張で、ハンドルを握る手にじっとり汗がにじむ。「時刻よし…発車」。声を出すと平常心に戻った。
 世界最速の最高時速210キロで走る「夢の超特急」は、国を挙げた一大プロジェクトだった。東京―新大阪間の515キロが結ばれたのは、着工からわずか5年後。東京五輪で世界に技術力を示そうと突貫工事が行われ、五輪開幕の9日前に開業にこぎつけた。
 川崎さんに五輪そのものの思い出はほとんどない。運転席の硬い椅子に座り、五輪を観戦する客を乗せてひたすら走った。
 いつものように満席だったある日。停車中、後ろのガラス窓に気配を感じて振り返ると、小学生の男の子がへばりついていた。扉を開け「入りたいの?」と尋ねると、小さくうなずいた。遠慮がちに運転席に入った男の子はレバーやスイッチに額がくっつくほど近寄り、「すどい、すどい」とはしゃいだ。
 「上にばれたら叱られたんだろうけど、今みたいにうるさくなかったからね」。その後も何度か子どもを招き入れ「五輪より印象に残った」と手紙をもらったこともあった。客の笑顔を運ぶことで五輪に参加したと思っている。
 陸軍パイロットだった叔父にあこがれ、乗り物を動かす仕事を志した。地元の国鉄静岡鉄道管理局に入り、蒸気機関車のかまたきから始めた。在来線の運転士をしていた62年、新幹線の運転士を募集すると聞き、迷わず手を挙げた。
 時速80キロの世界から、200キロ超の風景は想像できない。でも運転士なら最速の世界に挑戦したいと夢見た。「静岡の30人で合格したのは自分ともう一人だけだった。
 新幹線は半世紀で、最高時速が320キロに上がった。2時間半で結んでいた東京―名古屋間は1時間近く短縮。2027年にリニア中央新幹線が開通すれば、たった40分だ。あまりの速さに「付いていけないな」と逆に寂しさも感じる。
 あの時の子どもたちはサラリーマンなら定年を迎えるころだ。自分が新幹線の運転士になったように、夢をつかんだだろうか。56年ぶりの東京五輪が現実となった今、ふと思う。
 退職後は自営の仕事をしながら7キロ歩くのが日課だ。7年後に自分の目で五輪を見る新しい夢もできた。「楽しみだね。健康に気をつけなきゃ」。今度は客室のシートに腰を沈め、まどろみながら東京に行こう。
   ×   ×
 2020年夏季五輪の東京開催が決まり、56年ぶりに東京の聖火台に火がともる。五輪の舞台は選ばれたアスリートだけのものではない。1964年の初の東京大会以来、聖火をリレーでつなぐように、中部地方ゆかりの人たちもそれぞれ五輪への思いをつないできた。

  ゆっくり写しましたが抜けたりちがったりです。指の運動に目を通して戴きありがとうございました。あすもよろしくおねがいします。

閲覧数1,742 カテゴリ日記 コメント6 投稿日時2013/09/12 17:20
公開範囲外部公開
コメント(6)
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  • 2013/09/12 19:16
    ターコさん
    私の家は
    静岡新聞なのでまーちゃさんの新聞記事の投稿は、じっくり読ませて頂いています。
    今回も心温まる記事をありがとうございます!

    早くも
    五輪の批判が
    あちこちで
    飛び交っていますが…
    五輪と復興を
    両立させて欲しいものですね(祈)
    次項有
  • 2013/09/12 22:33
    makoさん
    オリンピック ぜひとも成功してもらいたいですねぇ。

    私も、まだ洟を垂らしていた子供のころ

    記憶では、とっても暑かったように記憶しています。

    今の子供たちにも、何らかの記憶にとどめられるような素敵な大会になることを祈ります。


    それにしてもこれだけの文字を入力する集中力には感服です (*^^)v 。

    次項有
  • 2013/09/12 23:47
    ターコさん ありがとうございます
    総理大臣が汚染水問題原発収束復興をはっきり国際社会に約束した発言だったと思います有言実行してくれるでしょう。嘘と思いましたが期待です。
    被災地の人にしてみれば五輪に人材も資材も獲られるのではないかと心配もあると思います。
    次項有
  • 2013/09/12 23:50
    makoさん ありがとうございます。
    成功してもらいたいですね。前回は10月10日からでしたが、今度は6月下~7月上とか、エッとおもいました。

    見ようを知らないのでWebページで見付からなく一字一字ゆっくり写しました。集中力はなく休み休みです。上手の人ならほんの数分ですが私はリハビリのつもりですから…明日もたぶん一字一字ですWebで見つければコピー貼り付け以上ですがリハビリにはなりません。ね
    次項有
  • 2013/09/13 15:40
    私も読みました。
    いい時代であったと思います。
    兄は3年で学校で募集した五輪を見にでかけました。
    私は遠慮して止めました。
    お金が家にあったらと思いました。

    昨日の朝のラジオで開会式の入場料が千円だったそうです。
    あの時代の千円は今の金額にしたらいくらでしょうか?
    (1万5千円~2万円ぐらいでしょうか)
    感動的な話を聴けましたがやはり今でもいけません。

    その前に東北を復活して欲しいですね。
    次項有
  • 2013/09/13 23:44
    みつちゃんさん  ありがとうございます。
    いい時代でした。今は便利な時代になりましたがその分、世知辛いですね。
    2万でも3万でもその場で見れば感動もそれなりに大きくテレビでは味わえない雰囲気は確かでしょうがテレビもまえとは雲泥の差、現場以上に伝えてくれると思います。
    被災地の中には開催決定のお祭り騒ぎやっきりする方多いと思います。
    次項有
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