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2013年09月16日(月) 
『男子バレー黄金期と低迷期』【雪辱 やるなら一番に】
 東京が2020年五輪の開催を射止めた8日は、バレーボール男子日本代表にとって屈辱の日だった。
 愛知県小牧市で開かれた世界選手権アジア最終予選で韓国に敗れ、1960年(昭和35)の初参加以来、14回続けた選手権出場を逃した。
 「ふがいない。俺が出てたらなあ」。同県稲沢市に本拠地を置くVリーグ、豊田合成トレフェルサの選手、古賀太一郎さん(23)は寮のテレビの前でもどかしさを押し殺した。日本代表候補の一人だが、小牧の試合には招集されなかった。
 身長170㌢はチーム一低いが、度胸と負けん気の強さは一、二を争う。7月のユニバーシアード大会(ロシア)に出場し、日本とって8年ぶりのメダルとなる銅メダル獲得に貢献。スパイクレシーブの最優秀選手に選ばれ自信がついた。7年後の東京五輪は30歳の円熟期。それまでに自分が代表チームを立て直してやろうという気になってきた。
かつて男子バレーには三大会連続で五輪の表彰台に上がった黄金期があった。その最初が64(同39)年の東京大会。女子の「東洋の魔女」に隠れがちだったが、銅メダルを取った。当時選手だった菅原貞敬(さだとし)さん(74)=長泉町、Vリーグ女子・日立リウ″ァーレ総監督=はどんなボールも拾うレシーブの名手。テレビ中継では「また菅原がドブネズミのようにコートを転げ回った」と言はれた。
 原動力は欧米への「憎しみ」だった。秋田で育った少年時代。米軍の空襲で町が焼かれ、出征した人は骨になって帰ってきた。いつか見返してやる。敗戦後、中学の先生の誘いでバレーを始めた。実業団に進み、毎日7時間の猛練習で代表の座をつかんだ。
 五輪の開会式で、入場行進を待つ各国の選手たちがにこやかにあいさつを交わす中、欧米選手をにらみつけた。「ハーイ」と手を挙げかけたガイジンから、わざと視線をそらした。「こいつらには絶対負けられん」。メダルを取り、世界に日本の力を見せつけることだけ考えていた。
 コートでは闘志を抑えられず全身が震えた。「体格で劣る俺たちはレシーブで拾うしかない」と硬い床に飛び込んだ。憎き米ソにも勝ち、まさに傷だらけで上った表彰台。でも台から下りた途端ほっとした。あれだけ欲しかったメダルは観客席に放り投げた。
 金属の塊に興味はない。メダルは心にあればいい。閉会式で肌の色の違う選手たちが肩を組むのを見て、憎しみからも解放された。五輪が人生を変えてくれたと思う。
 その時から56年後の東京五輪出場を目指す古賀さん。稲沢市にある車のブレーキホース工場で仕事を終えた後、毎日体育館へ向かう。兄の影響で幼稚園から始めたバレーだが、誰よりもたくさん練習し、同世代ではトップクラスになった自負がある。
 まだ世界との差は感じるが、頭を使い工夫して戦えば、決して手の届かない所ではないと思う。「やるからには一番に」。昔と違って憎しみも劣等感もない。純粋な気持ちが夢をかなえると信じたい。
 (この連載は池田悌一、河郷丈史が担当しました)
 ×    ×
 写したのは まーちゃ。間違いはお許し下さい。

閲覧数540 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2013/09/16 12:36
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2013/09/16 19:10
    オリンピックにまつわるよいお話ですね。
    メダルより気持がそれ以上だったのですね。
    戦争の大変なおもいをバレーにかけたのですね。

    すぐ飽き性の私はとてもマネはできません。
    けんかしても次の日にはケンロリの性格です。

    7年後の日本はどうなっていくのでしょうか?
    次項有
  • 2013/09/16 21:07
    みつちゃんさん
     ありがとうございます。
    新聞を一度目を通すだけでは鈍い自分は意味も分かりませんがこうして写しているとなるほどと分かることがあります。
    プロの記者が取材しまとめた記事を写す自分のためになります。

    「けんかしても次の日にはケンロリの性格です。」良い性格・金メダルです。

    7年後の日本は
     政治や経済より災害列島化が心配の昨今ですね。
    次項有
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