2016年04月27日(水) 

 

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彼らはどんどん人と交わり、お金を使わず自分の手でモノをこしらえ、面白がって社会を変えようというタフさを持っている。
(中略)
 そんな若い人たちには、ものを深く考えたり、感じたりするための言葉が必要だ。人々は今、言葉を強く欲しているのに、まだ結晶化していない。それはどんな言葉だろうかとずっと考え続けている。
 一時はやった「ワンフレーズポリティクス」を、もう人々は信じないだろう。単純な断定でなく、このもやもやを表す言葉、世界の見え方が変わる言葉を探し、投げかけることが、私たち人文知にかかわる者の使命だと思っている。
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※日経新聞(2/29)・文化欄からの抜粋。

 

‘We can change!’ ですね。

過去・現在・未来と考察を重ねて、来るべき未来社会の内容を得ることが必要ですね。

日本語には時制がない。日本人の言葉は現実を表現するために使われている。

非現実を表す言葉は、文章にならない。非現実の内容を表すためには、時制のある文章が必要である。文章にならない単語は雑念となり、正しい考えの妨げになる。だから、雑念を脳裏から払拭しなくてはならない。そうすれば、現実に精神を集中できる。

 

文章にならなくて払拭された単語は、腹の底にたまる。もやもや・どろどろとした構文のないものになっている。発言はできないが、腹芸の原動力になっている。腹切りもある。

談合を開いて、お互いに腹の底を探り合う。腹を決める。理屈はない、単純な断定である。

 

我々には、世界観が必要である。世界観は非現実の内容であるから、文章内容にするには文法に時制が必要である。時制が無ければ、人は無哲学・能天気となり、実況放送・現状報告の内容のみを発言する現実肯定主義者となる。

非現実の内容は、個人・個人で違っている。だから、世界観比べができる。世界観が一致すれば、小異を捨てて大同につく。建設的な話し合いができ協力体制ができあがる。特亜三国 (日本・中国・韓国) の国語には時制がない。世界観が無ければ、’一盆散砂’ である。東洋風である。それで、北東アジアは不安定要因を抱えることになる。

だから、我々は、時制のある英語を勉強して、英米人の考え方を習得しなければならない。

 

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閲覧数615 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/04/27 10:02
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