> 「学校教育には問題がある」という事はわかる。しかし、「では、どうするか?」という思考、行動に結びついていない。
同感です。「どうする」は意思 (will) の内容に対する疑問で、意思は未来時制 (future tense) の文章内容です。日本語には時制 (tense) がないから、日本人は意思を表せない。 意思 (非現実) を日本語で無理に表現しようとすると、「そんなこと言っても駄目だぞ。現実にはそうなっていない」と反論されて、それでおしまいになります。
同感です。問題には答えが必要ですね。そうでなければ、いつまでたっても問題解決にはならない。 考えの内容は非現実です。日本語は現実の内容しか表現できないから、非現実の内容は ‘うそ’ になります。これでは、議論ができません。
同感です。それには時制ある言語を使った考え方の練習が必要でしょう。その言語は英語です。英語は考える力を我々に授けてくれます。実行には思い切った決断が必要です。優柔不断・意志薄弱では、負の連鎖は断ち切れないですね。
‘Yes, we can.’ ‘学校・学校以外’ には関係がなく、これは言語の問題でしょう。 使用言語の問題ですから、日本人は上から下まで、切って揃えられたようなメンタリティになります。 自分自身の考えを表現できないから、愚鈍・愚直の世の中になっています。
同感です。意思が無ければ力が出せない。無力感 (sense of impotence) にさいなまれます。 非現実の内容を現実の内容に変換できれば、我々は創造をしたことになります。「どうする」には、「英語を習い、英語で答える」が答えです。一人ではなく、国をあげての運動が必要です。 問題克服の道筋は、未来時制の文章内容で展開可能です。だが、日本語には時制がないから、英語を使ってその内容を言い表すことが必要です。だが、日本人には、その意思を示すことが難しいでしょうね。
.
|