>「親とか、ゼミの先生とか、『今、頑張れ』『人にもまれろ』『楽するな。世の中にもまれろ』っていうけど、自分たちは、いかに楽するか、自分だけ特別でいるか、を考えてるじゃん。それって、ずるくないっすか?」
降参するのは易しいが、ずる賢く見えるのは止められませんね。自己中心主義ですからね。現実だけが考えられている我が国は、小人の国です。我が国では、’あるべき姿’ を主張する個人が尊敬される立場に立つ伝統がない。’あるべき姿’ の内容は、非現実的であり、現実離れがしているので、日本人は信用しない。
>私は、何人もそういう人をたくさん知ってるので、私の事実としてこれを伝え「フットワークが軽い今のうちに、動いて、いろんな人と出会って、『こういう大人なら、なってもいいな』という人に出会ってほしい」と、伝えました。 人間には哲学が必要ですね。個人的に ‘あるべき姿’ の内容を持つことが必要ではないでしょうか。これは高尚です。象牙の塔の中に住む人々との出会いです。
無哲学・能天気は困ったものですね。大人の過ちを二度と彼らに繰り返えさせたくありませんね。
それも自分だけのことでしょう。日本人には世界観がないから、その考えはついこの世だけのことになる。この世の成功は処世術によりもたらされる。襟を正すことは難しい。 過去・現在・未来といくつもの世界の内容が考えられると、’あるべき世界’ の内容も考えられます。世界観を受け入れる社会においては、’あるべき姿’ の世界の建設を提唱できる者が指導者として選ばれる可能性が高い。 その内容が人々に希望を与え、仲間たちの建設的な協力が得られることになる。
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