>子どもの頃、道徳の授業ほど気持ちの悪いものは無かった。
そうですね。教師による説教ですからね。問答はありませんでしたね。上意下達の習慣を励行するのみですね。
現実から離れた話は、我々日本人には受け入れられませんね。退屈します。 日本語には時制というものがないので、非現実の内容は文章になりません。日本人には、非現実の世界は想定外になっています。 だから、日本人脳裏には ‘あるべき姿’ の世界がありません。’あるべき姿’の世界は、 ‘今はない’ 世界だからです。それで、日本人は、無哲学・能天気になっているのです。 自分自身の ‘あるべき姿’ が無いので、それと比較して、現実を批判することが出来ない。だから、判断力を持たない。付和雷同する人間のままでいる。
>人が人として成長する、誰かを想う、みんなの為に行動できる。
それはアニマルも同じですね。みんなの為に行動できる。種族保存の本能ですね。
実学 (技術) の様なものですか。それは、今まで我々・日本人がやってきたことでしょう。それはそれで、日本が成功してきたこと。 だが、英米流の高等教育にはなりませんね。
無哲学・能天気の人々の世の中は、混とんとしていますね。人間に固有な知力も低下します。考える人になるのには、俗社会から隔絶されることも必要でしょうね。大人の教育には、大学村のようなところが良いでしょう。
自分自身で ‘あるべき姿’ の内容を考えることが大切ですね。各人にそれぞれの哲学が必要です。さすれば、判断力のある人間が育成されます。烏合の国から脱却できます。今は民主主義の時代ですからね。自分自身で判断できる人が多いほど、政治の質が高められます。 自分が考える人になれなければ、外から教え込むしかないでしょう。徳目を暗記させる。伝統的な中国式でしょうね。試験地獄が待っています。その努力は袋小路になっています。
学校から飛び出す必要はないでしょう。学校でソクラテス式問答法 (対話法) をすると良いでしょう。真理の探究・教育の手法になります。人間力がアップします。
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