2017年04月21日(金) 

 


>俺は祖国を愛しているんだけど、祖国は俺たちを愛してくれないんだよな・・・・ >日本の新幹線は民衆のためにあるんだな・・・・  なのに中国の新幹線ときたら・・・・
>この二つのコメントは、たまたま同じ年の3月に開業した九州新幹線と今月開業した自国の「(北京=上海)高速鉄道」の違いを、九州新幹線のCMを通してシナと日本の決定的な違いとして率直に感じた思いを素直に綴ったのだろうと、敬天は思うのです。

 

‘中国人は、’祖国に対して片思いだ’ ということですね。


>まず「俺は祖国を愛しているんだけど・・・・」はシナ人民の思いをこれほど象徴的に表した言葉は無いと感じるのです。>「(今の政府を見れば)日本だって似たようなものじゃないか」と言われるかもしれません。確かに、国の権力という観点で考えれば残念ながら日本もシナも似たようなものです。しかし、日本には「国の権威」という「国の権力」を超越した存在があります。

 

我が国の超国家主義 (国粋主義) の内容の話になりますか。


>つまり、天皇であります。シナでは「俺は国を愛しているんだけど」の思いを返してくれる存在はありませんが、日本にはその思いを返してくれる天皇のご存在があります。>今回の大震災でもそうでしたが、天皇は「国民の不幸は自分の不幸」と共にしてくださいます。

 

確かに、我が国には国を代弁する声がありますね。それは、天皇のお言葉ですね。


>国民が国を愛すると同時に天皇も国民を愛して下さるから、国民の安全を第一に物事が進められてきたのが日本の歴史です。新幹線然りです。>これはどんなにシナ人が逆立ちしても叶わないことです。>日本にあってシナにないもの――アメリカにも言えますが――国の権威です。

 

我が国は、権威主義 (authoritarianism) の国ですね。


>国に権威が無いということは、あるのは「権力と金」だけということになります。

 

シナ・アメリカは金権主義の国ということになりますか。


>たとえば、アメリカには国の権威がありませんが、例えばプロテスタントという宗教的権威と法治主義という法的権威が厳然と存在しているおかげで社会的不正に一定の歯止めをかけ、国民の利益と生存権を守ろうとするシステムが機能しています。>しかし、宗教的権威も法的権威もないシナにあるのは権力=金だけです。

 

シナは金権政治 (plutocracy) ですか。


>話は横道に逸れますが、アメリカが日本に絶対に敵わないと認識していることは、国家権力はいうまでもなく、「宗教・法」という権威を超越した、国家として絶対的権威(=天皇)が日本にあるということだそうです。この絶対的権威は誰も否定できないと認識しているそうです。

 

我が国は、序列制の国ですからね。日本人序列の最高権威は天皇です。でも、日本語の通用する地域にしか、その権威は通じませんね。グローバルでもなく、ユンバーサルでもない。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがありますから、日本人の礼儀作法は、序列に基づいています。ですから、序列のないとことでは、礼儀なしです。
 
>敬天が何を申し上げたいのかといえば、宗教的権威や、歴史・伝統・文化といった人間の拠り処となる権威を否定した社会には、暴力的に獲得し暴力的に維持されている暴力装置としての権力しか存在しないから、人民あるいは国民の生命・安全をものともしない人民にとっては暗黒社会でしかないのが、今のシナ人民共和国そのものだということなのです。

 

力は正義ですね。(Might is right). 正義の内容が問題になりますね。力による平和もありますからね。


>そして、例えば仕事や旅行などで高速鉄道など公共交通機関を利用するという、日常的生活においても、脆弱な安全性の下に人民が大きなリスクを負わなければならない国って、「どうよ?」なのです。>その「どうよ?」に集約されているのが「日本の新幹線は民衆のためにあるんだな・・・・  なのに中国の新幹線ときたら・・・・」に尽きると思うのです。

 

中国人の方が我が国民よりも、’今だけ・金だけ・自分だけ’ の処世術にたけているようですね。
 
>自衛隊を(国家権力における)暴力装置と発言した与党の偉い人がいましたが、敬天に言わせれば、現代においては人間社会の伝統的権威を否定しイデオロギーと私兵を使った暴力革命による権力そのものが、暴力装置と定義されるべきなのです。

 

権威主義は良くないですね。民は盲目の人になっています。この国をひっくり返して、国民に塗炭の苦しみを味わわせた時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。


>そして、人民の安全性を無視した、権力と金にまみれた「暴力装置」に支配された国家に、世界に賞賛される国家プロジェクトを構築できるはずはありません。

 

中国は、覇権主義の国です。中原の鹿を追う覇者の国の伝統があります。暴力装置に歯止めがかかりません。

特亜三国 (日本・中国・韓国) は無哲学・能天気の民の住む地域です。これらの民の言語には、時制というものがないので、非現実の内容を文章にすることが出来ません。

民は、現実しか信じていません。現実肯定主義者になっています。’あるべき姿’ を主張する者に対しては、’そんなことを言っても駄目だぞ。現実はそうなっていない’ と反論し受け付けません。

 ‘あるべき姿’ は非現実の内容です。現実の内容は小異になるが、あるべき姿は大同になる可能性があります。小異を捨てて、双方が大同につけば未来への道が開けます。お互いに大同に注意を集中しないと提案もなく、小異の争いに明け暮れることになります。これが、現在の北東アジアの不安定要因になっているのでしょう。

ですから、特亜三国の人々も哲学を持つことが大切です。それには、英米の高等教育が必要です。英語の文法を勉強すると、正しい考え方を否応なく教えられます。英語を使えば、過去の世界、現在の世界、未来の世界という非現実の三世界の文章内容 (世界観) の枠組みを脳裏に作ってくれます。ですから、非現実のあるべき姿の内容を未来の世界として考える余地ができます。民は考えに奥深くなり、’烏合の衆’ は、’考える人’ になることができます。未来社会に対する夢と希望が湧いてきます。

 

 

 

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閲覧数483 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/04/21 11:57
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