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>要は近代になって社会の構造がかわり、生きずらくなってしまった人々の葛藤や苦悩や悩みを分析し、正常な発達過程からの逸脱があれば障害や病気として認定し矯正あるいは治療をしましょう。ということのようです。
横並びの生活は、悲喜こもごもですね。規格化の行き過ぎですかね。
>学問が世のため人のためにあるのなら、まずは社会構造の問題を究明し、本来の人間として暮らしていける社会をつくっていこうとするのが役割りのはず。
社会構造の問題は、人間の頭脳の問題かもしれませんよ。あるべき姿の社会の内容と、その建設意思が必要ですね。
>しかし社会にも、学校制度にもなんらメスを入れることなく、近代社会ありき、学校ありきでその存続に加担しているだけのように見えます。
我々の社会は、序列社会です。学校制度は序列競争の道具立てでしょうね。’世の中は、、、、’ の発想法にならされていますね。
>そんな学者の言うことに惑わされてあたふたしているのが私たち大人。
私達大人に自分の考えのないことが問題でしょう。だから、あたふたしているのです。 現実の内容は、与えられた内容です。これを記憶することは、従来の詰め込み教育になります。現実の内容はただ一つです。唯一の正解を基準にして、人間の序列を定めます。 非現実内容は、自ら発想した内容です。我々の目指す創造の教育につながります。矛盾のない内容は、全て正解です。だから、個性豊かな人間が生まれます。
>学者のいうことに耳を傾ける必要なんかありません。
他人の言葉に耳を閉ざす必要もないでしょう。それよりも、自分自身に考え・構想のないことが問題でしょうね。
>冒頭の「かつて人間であったことを忘れてしまった大人たち」とはきつい言葉ですが、現代社会でそれなりに生きていくことに慣れてしまった大人たちは思考停止そのもの。
‘考える人’ になる事は、大切なことですね。現代社会は、序列社会です。’世の中は、、、、、’ の内容は、暗記ものの対象になります。この発想法に慣れると思考停止になります。
>本来もっていた好奇心や追求心を失い、人間であることをやめてしまったといわれても仕方ないでしょう。
好奇心は、大切ですね。自発的な発想は、哲学です。その内容は非現実です。各自が自由に発想できます。矛盾を含まない内容は、すべて正してことになります。各自に哲学が必要です。だから、各人の議論も可能になります。
>だからこそ赤ちゃんから大人まで一本につながった人間としての生き方を取り戻すことこそが今必要なのだと思います。
好奇心を持続的に保つことは難しいですね。しかし、努力の甲斐があります。
>そのためにとどうするか?
貴方に、何か良策はありますか。私は、日本語に問題があると考えています。英語で考えたら、この問題は解決します。考える自由が獲得できます。我が国と英米の大学の格差は解消できると考えています。
>やはり思考停止から脱して学校どうする?社会どうする?を真剣に考えるべき時なのだと思います。
そうですね。真剣な考察が必要な時ですね。詰め込み主義が先か、思考停止が先か。その根底には、民族的な無哲学・能天気があるのでしょうね。
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