2017年06月29日(木) 

 

>法学館憲法研究所 より引用です。

http://www.jicl.jp/urabe/backnumber/20120510.html

(略)

 

>歴史をさかのぼってみれば、「競争」への全面的信仰は、おそらく、19世紀半ば、ダーウィンの生物進化論に行きつくであろう。>ダーウィンが生物進化の論拠とした「生存競争」と「適者生存」という観念は、当時急速に富を蓄えてきた産業資本の「強欲」を正当化するために用いられた。

 

産業資本は適者生存 (the survival of the fittest) の代表でしょうね。

 

>生物界のみならず社会もまた「適者生存」の法則によって進化し進歩するのであり、社会の中での自由な「生存競争」に任せておけば生き残るにふさわしいものだけが生き残り、そのことによって社会は進歩・発展するのだ、というわけである。

 

Laissez-faire (自由放任主義) ですね。

 

>こうして、たとえばカーネギーとかロックフェラーといった当時のアメリカの財閥は、自分たちの成功は自分たちがこの社会の中で生き残るにふさわしい存在であることの証明だ、と胸を張ったのであった。

 

彼らの強欲 (greed) は正当化されましたね。

 

>いまの「新自由主義」の言っていることは、これと大差ないような気もするが、とするといったいどこが「新」なのだろうか。

 

少しどこかに毛が生えているのでしょう。

 

>しかし、こうしたダーウィンの理解と援用に対しては、当時(19世紀末)すでに全面的な批判がなされていた。

 

人間は、アニマルと同列にはなり切れませんからね。

 

>それがクロポトキンの「相互扶助論」である。>私はかなり昔に読んだものだが、要するに、動物界においては「生存競争」よりも本能的な「相互扶助」が種の生き残りと進化に重要な意味をもっているのであり、人類についても「相互扶助」の本能が社会の根幹をなしている、というのである。

 

そうでしょうね。同感です。

 

>それは、観念的に述べられているものではなく、クロポトキン自身があちこちで種々観察した事実として述べられているものである。>実際、たとえば大震災に際して日本国内のみならず世界中から救援・支援の手がさしのべられた事実は、まさに人間の「相互扶助」のあらわれといえるのではないか。>それは、「愛」とか「同情」というよりも、もっと奥深いところから発するもののように思われる。

 

そうですね。危機感のようなものでしょう。本能の目覚めですか。

 

>クロポトキンが「相互扶助」を「本能」だと言ったことがわかるような気がする。

 

そうですね。カラスは群れを作って暮らしています。その相互扶助の強さによって猛禽類でも逃げてゆく。

 

>この「本能」をお金への執着から忘れてしまった結果が、「なんでも競争」の市場原理主義に毒されたいまの状況ではなかろうか。

 

そうですね。アニマルはお金に執着しませんからね。強欲にはならない。

 

>クロポトキンといえばアナーキストである。>アナーキスト、アナーキズムは危険だというレッテルのために、この「相互扶助論」が顧みられないでいるのは、残念である。

 

彼の「相互扶助論」は、大切ですね。我々は、助け合って生きていかなければなりませんね。

 

 

 

 

 

 

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閲覧数527 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/06/29 10:26
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