2017年11月29日(水) 

 

 

>今日も暇でネットを見てみたら、ホリエモンが井筒監督を「人間として最低”という記事が飛び出す。

>提供者は日刊スポーツ。

>スポニチにはもっとまともな日本語が書ける記者はいないのかね?

>それはともかく内容は井筒が何処かの雑誌に「最近の映画は売り上げ重視で表面だけとらえた虚像作品ばかりだ、もっと実のあるものを」と述べたのが、ホリエモンのカンに触ったらしく「虚像が未来の産業を作って行くんだ、虚像批判は過去の遺物」と反論。

 

虚像は頭の中にある。実像は頭の外にある。両者は所在が異なるので、内容は同じにならない。虚像を実像に変換できれば、未来産業の道は拓ける。だから、考える人は必要です。

我が国は今、人手不足である。しかし、頭脳不足の話は聞かれない。

人手不足は実像の世界の不足である。頭脳不足は虚像の世界の不足である。虚像に対する不足感 (要求) が無ければ、我が国には夢も希望もない。

 

(略)

>現在はどの時代でしょうか?顕かですが「虚」の時代です。>経済は虚経済そのもののアベノミクス。>政治には「虚」そのものの小池「希望」が現れ、テレビをつければどこを見ても虚業の典型である芸能人だらけ。

 

夢も希望もある政治家ですね。変換の実力はあるのでしょうか。

 

>政治家もみんな芸能人化を志す。>この時代を筆者は「タレントクラシー(芸能人支配)の時代」と呼ぶのです。

 

政治家も芸能人も人気で成り立つ職業ですからね。

 

>井筒監督の評論は日本人がこのまま”実”を忘れ”虚”に奔れば、上で述べたように日本はヒラヒラだらけになって何処かへ跳んで行ってしまう危機感からきているのです。>そしてこの危機感は、ワタクシを含め同年代の、どちらかといえば左翼ではない保守派知識人に共通する感覚だ。

 

足が地についた考え方ですね。

 

>一方の堀江は、虚と実の関係は無視し、今の時代の価値の最大化のみを考えるスタンスである。>これをプラグマテイズムという。

 

うまくゆくと良いですね。

 

>この前提には現在社会のベースをなす要件が常に一定で、そのための資源の供給も安定確保出来ることである。>この前提が少しでも崩れた時、その世界はパニックに陥り崩壊する。>1920年代のアメリカがまさにそうだったのだ。>だから堀江は現在の超低金利、米ロ中三国の力の均衡、アベノミクスの永続を前提として”虚業”の発展を願わざるを得ないのである。

 

前提の永遠を願うわけですね。他力本願・神頼みですか。

 

>現在問題になっているメーカーの検査データねつ造。>一般にはこれを”実”の問題と思うかもしれないが、これこそ”虚”が作った犯罪なのである。

 

羊頭狗肉ですね。虚を実で裏付けできるのが実力です。

 

>検査済証など幾らでも偽造できる。>これこそが意味のないヒラヒラなのだ。

 

信なくば立たず。信用がなければ、定食屋の飯も食べられません。ヒラヒラに意味を持たせるのは人間です。

 

>このヒラヒラをありがたがることこそが”虚”なのである。

 

虚人の世界には住みたくありませんね。無力感にさいなまれます。

 

>以上転載終了 

 

 

 

 


閲覧数641 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/11/29 10:08
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