2017年11月28日(火) 

 

>環境ビジネスコンサルタントのパイオニア!菊池功ブログリンクより引用

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>皆さま、どうだろう?>これからも自社は現状の延長線上で大丈夫だろうか?>成長曲線を描けるだろうか?>こう聞かれた時に、>「現状のままで充分だ!」>「何も変えなくて良い!」>と自信に満ちている企業は少ないのではないかと思う。>と言うのも、企業というものは何かしらの課題・問題点を>必ず持っているものだからだ。>・組織を変えないといけない・・・>・取扱商品を変えないといけない・・・、>・幹部の意識を変えないといけない・・・、>・社内の仕組みを変えないといけない・・・、> 企業により様々だろう。>しかし、実際に変えられる企業は少ないようだ。

 

そうでしょうね。変革は難しいでしょうね。

 

>現状のままでも何とか行けているからである。>そして、変えた場合のリスクがあるからだ。>そういう時、「変わるリスク」と「変わらないリスク」、どちらのリスクが高いだろうか?>間違いなく、短期的には「変わるリスク」が高く、長期的には「変えないリスク」の方が高いだろう。

 

そうですね。

 

>ヒトには3種類いる。>・周りが変わる前に自ら変化するヒト> ・周りが変わればそれに従い(仕方なく)変わるヒト> ・周りが変わっても自らはかたくなに変化することを拒むヒト>これだけ時代そのものが変化していく中においては、周りが変わる前に積極的に自らを変化させていきたいものだ。

 

日本人に積極性があればよいのですがね。

 

>ある意味、変化する「勇気」と言うか、決め切る「勇気」と言うか、別な言い方をすれば、捨て去る「勇気」が今求められているようだ。

 

日本人には意思が無い。意思が無くて、恣意 (私意・我がまま・身勝手) がある。意思決定の代わりに、恣意決定を断行するときわめて危険な状態に陥りますね。無謀な発進ですね。意思があれば、その文章内容も明らかになり、リーズン (理性・理由・適当) の確認ができます。リーズナブルな方策が承認されることになります。ですから、蛮勇の危険は避けられます。

 

>過去の延長線上で考えるのではなく、「将来こうなるだろうから、今、こうする!しなければいけない!」>そういう考え方を持つべきだろう。>そして、将来求められるビジネスは何か?を考えて、「だから、今からこれを準備する」と考えることが必要だ。

 

未来の発想は、日本人には難しいでしょうね。日本語には、未来の内容に載せる構文がない。それで、未来に関する内容が表現できません。

 

>「過去・現状がこうだから今もこれをする」>これは過去発想。

 

伝統的な有職故実の勉強ですね。

 

>それに対して、「未来・将来はこうなるだろう、こうすべきだ!だから、今はこれをする!これをしなければいけない!」>こちらは「未来発想」。

 

現実離れをした話は、日本人には信じがたいでしょうね。’話にうつつ (現) を抜かしてはならない’ と言われていますね。

 

>過去と現状に流されてはいけない!

 

非現実 (哲学) の内容を持っていないと、現実 (処世術) に流されるのではないでしょうか。

 

>是非、「未来発想」を持ち続けて欲しい。

 

そうですね。西洋人は大人になると、’考える人’ になる。

‘我々はどこから来たか。我々は何者であるか。我々はどこに行くのか。’ といった哲学的命題に自分自身の答えを探すようになる。

これは、印欧語の文法には、時制 (tense) というものがあるからである。特別な努力をすることなく、そのように考える。言語は、考える道具だからである。

文法の枠組みに従って、非現実の世界 (過去・現在・未来とか、前世・現世・来世) というものに内容を与えようと考えるようになる。

だから、各人が、それなりの考えを持つ人間になる。考えの実態は見ることが出来ない。ただの話である。ただし、それを信じるためには、正しい (矛盾を含まない) 考えかどうかを見分ける必要がある。

 

これに対して、日本人は、大人になっても無哲学・能天気でいる。

日本語文法には、時制というものが無いので、脳裏に現実以外の内容を蓄える余地がない。現実の実態は、頭の外にある。だから、見ることが出来る。見ればわかる。見ることが出来ないものは、現実の世界の嘘である。だから、日本人は、考える人にはならない。文法の枠組みが無いので、未来の内容を文章にすることが出来ない。だから、未来に関する発想は難しく表現もできない。哲学の勉強も難しい。

 

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。時制という文法の枠組みが無ければ、想いはバラバラな単語のままである。歌詠みの様なものである。意味もなければ、矛盾の指摘もできない。想いは、哲学にはならずして、空想・妄想になる。おかげで我が国は、漫画・アニメの大国になることが出来た。

だから、未来に関する実りある発想は難しい。変革も難しい。だから、元の木阿弥か。この困難を乗り切るために、英米人の考え方を積極的に学ぼう。

 

 

 

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閲覧数518 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/11/28 14:25
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