2018年01月24日(水) 

 

 

>日本人は依存心が強く、生殺与奪の権限を持つ「上の人」が、何もかも「上げ膳・据え膳」で施してくれるものだと思っている。

 

自主独立の気風に欠けていますね。

 

>だから、「上の人」に従順でさえあれば、あとは「上の人」が何でもやってくれると思っている。

 

そうですね。日本人はおとなしいですね。相手に対する積極的な働きかけは少ないですね。

 

>大多数の凡庸な日本人にとって、「上の人」とは、自身の能力の割にラクで安定したリスクの少ない仕事を与えてくれて、そのワリに能力以上の生活費を支給してくれて、モラルに関する問題さえ起こさなければ、長幼の序に従って年々高い立場と高給を処遇してくれるものだと思っている。

 

年功序列の楽しみですね。

 

>そして、それでも足りない生活費は補助金として賄い、振舞ってくれる。>社会インフラが足りなければ、いずれ整えてくれるものだと思っている。

 

‘そのうち、何とかなるだろう’ ということですね。

 

>だから、何かを決める時は「上の人」のご意向が起点になり、「上の人」のご意向が無ければ思考停止になる。

 

上意下達ですね。

 

>まるで「上の人」は、神様だ。

 

‘上とみるか、下とみるか’ の判断ですね。

 

>誰も神様であるとは口にしないが、「上の人」に対してやっている事は神様扱いだ。

 

我が国の礼儀作法は、序列差法になっていますね。

 

>だから、「上の人」を盲目的に祭り上げるし、自身の世間に降臨して仕事を共にすることを「天下り」とまで言う。

 

責任観念のない上下社会ですね。

 

>そんな神様が人間臭い行為、特に「人間臭いあやまち」をするのは、神様だと思っているだけに許せない。>日本人にとって、性は「秘め事」であり、不浄な行為であるから、神聖たるべき「上の人」の「性のあやまち」に厳しくなるのは自然なことだ。

 

性の営みは、牧畜産業の原点ですね。

 

>私は、こういう矛盾と欺瞞に満ちた日本社会の「お上意識」と「依存心」が大嫌いだ。

 

序列社会におれる ‘もたれあい’ の風潮ですね。

 

>そして、カリスマ的リーダーを求める世間の風潮も大嫌いだ。

 

他力本願・神頼みですね。

 

>要は、依存心の裏返しである。

 

甘えの構造ですか。

 

>自らは主体的に何もしないで指示を待つだけ。

 

日本人には、意思が無い。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制というものがないので、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。

意思が無ければ、能動的な態度はとれないので、受動的になる。

 

>下手に本音や立場を表明すると損をする。

 

雉も鳴かずば打たれまい。自己の意思を表明すれば、当事者・関係者となる。表明しなければ、傍観者になる。我が国は、世界の中に在って、世界に属していない。蚊帳の外。

 

>黙って、オイシイ所だけイタダク事だけを願っている。

 

無為無策でいる。ずるいのか、ずるくないのか。

 

>「お上」に「強いリーダーシップ」を期待する人々は、自身が思考停止した無能者であることを意思表示するに等しい。

 

他力本願・神頼みか。思考停止は、我が国の伝統か。

 

>日本には無能者が満ち溢れている。

 

日本語文法の結果でしょうね。 時制のある英語を習って、自己の意思を表明しましょう。

 

 

 

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閲覧数1,230 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/01/24 05:03
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