(略) >二足歩行を始め大きな脳を手に入れた人間は、知と言葉を得て文明を発展させた。>そして、西欧文明は個を発明した。>個の観念は生物には存在しない。>人間の創造である。>知ゆえの発明である。
そうですね。言語がなければ、個の概念もありません。だが、日本語はあっても、個の概念は存在しません。日本人には、考え (非現実) の内容がないからです。
>あらゆる生物の中で個の存続を種の存続よりも優先させるのは人間だけであると言う。
そうですね。それは、個人主義のある国のことでしょうね。滅私奉公の国柄では優先しないでしょうね。
>知に拘り、個を偏愛した西欧文明は哲学を得るとともに一神教に囚われた。
哲学には、考えの主体が必要ですね。つかみどころのない人間に学問はありません。
>知を偏愛し、本能を軽視し、情を蔑ろにすることは、人間を人間でなくすることである。
聡明な人間になることでしょうね。本人は、まだ修行の身ですね。
>個人主義を追求することは、全体を捨て、すべてとの繋がりを断ち切ることである。>情を持つ人間は知だけでは耐えられない。
そうですね。人間はアニマルですからね。生きる悩みがありますね。そこで、葛藤による文学が生まれますね。 考え (非現実) の世界は、現実の世界とは別物ですね。両者の内容は、所在が違うから同じにはならない。両者のバランスを適当にとると ‘中庸の徳’ になります。
>繋がりを失くした人間は絶対孤独には耐えられない。>かくして人々は絶対者に救いを求めた。
かくして、人々は神に愛を求めた。
>この行為は情の行為である。
宗教には、情がつきものですね。
>知を至上のものとし情を捨てた挙句、情の行為に走らざるを得なかったのである。
そうですね。人間はアニマルですからね。
>この絶対矛盾を西欧文明は知の論理で取り繕うとしてきた。>しかし、今やその矛盾は隠し遂せなくなってきた。>一神教は本質的に他者を認めない。
それは、自主独立の気風ですね。
>共存を許せない。
それは、そうですね。そうでなければ個人の理屈にならない。でも、考えの上で他者は他者ですね。他者を認めないわけではない。
>それが一神教の一神たる所以である。
個人主義の個人たる所以でもありますね。
>地理的条件ゆえか、幸い日本語は知と情のバランスを失わずにこられた。
日本語は、情だけが優先しますね。
>そして、極端な個人主義の病にも侵されなかった。
自己の考えがないので、個人主義の理解は進んでいませんね。人々は、無哲学・能天気の状態でいます。
>日本文明は一神教を必要とはしなかった。
日本の神には意思がない。だから、多神でも問題はありません。
>西欧文明と日本文明は本質的に異なる文明である。
そうですね。東は東、西は西ですね。
>日本は近代化によって西欧文明を大量に取り入れた。
そうですね。それは、物質文明のことですね。
>しかし、それは表面だけのことであって、日本人のものの考え方の本質はほとんど変わってはいない。
考えは、言語を使っておこなれますからね。言語が変わらなければ、根本的な考え方は変えられないでしょう。
>近代化によって日本語の本質が変わったわけではない。>この日本語を世界に広めるべきだと鈴木 [孝夫] は言う。
日本語をローマ字表記にすると、特に非漢字圏への普及が進みますね。日本語の音読を容易にすることが、言語習得の効率を高めます。わが国における外国人研修者の技術習得に役立ちます。日本文化の海外輸出にも役立ちます。外国人と日本語で話ができれば、国際協力も容易になります。
(略)
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