>よく、人の意見を否定する人がいる。
論客は、’ああでもなければ・こうでもない’ と話す。’あれではいけない・これではだめだ’ と力説する。否定が得意な人ですね。
>一見正しいことを述べているように思えるが、自分こそが正しいのだと思い込んでいることが多い。
そうですね。すべての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。 矛盾を含んでいない文章は、すべて ‘正しい考え’ を示している。だから、’正しい考え’ は一つではない。多数ある。
>一定、自分の中で理論を組み立てているから、相手の意見が不十分に感じると、自分の理論が正しいと主張する。
自分が得意になる機会に遭遇したのですね。相手にも得意の機会を与えるべきです。
>要は、人を真っ向から否定する人というのは、相手のことを考えられず、自分が正しいことを主張したいだけなのだ。
そうですね。相手に関して無理解ですね。’正しい考えは多数ある’ とは考えていないのでしょうね。このような態度では、実りある対話はできませんね。
>しかし、私はその否定する行為自体が間違っているのではないかと思う。
間違っていますね。不毛の議論になりますね。
>誰しもそれぞれ考えはあって、その考えがまだまだ不十分であることも多々ある。
一人一人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. そうでなければ、国民は烏合の衆になる。民主主義は、衆愚政治になる。 個人の考えを大切にするのが個人主義ですね。わが国民は、個人主義の理解が不十分ですね。
>そこからどうするかを考えていくのが楽しいのであって、それを付け入るように否定(指摘)するのは、相手の活力を奪うことになる。
そうなりますね。相手を挫折させる結果になりますね。要注意です。
>不十分な状態から、上の段階にステップアップするためには自分たちの枠を越えようとする本人の活力が必要なのだ。
我々は、’考える人’ になる必要がありますね。そのための努力が、自他ともに必要ですね。
>どうせ、意見を出すなら、相手の活力を生起させるような言葉をかけてあげるのがベストだろう。
同感です。英米の高等教育機関では、考え方 (非現実) を指導してくれます。すると、学生は教養人になることができます。
>決して、相手もしくはできていないことを否定することはしてはいけない。
そうですね。矛盾を含む文章は、その箇所を訂正すれば、正しい考えになります。粗探しは、やめるべきですね。不毛の議論の生みの親になります。
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