2021年01月27日(水) 

 

 

>今こそ、目的と手段の不一致がないか、徹底的に検証していく必要があります。  

 

そうですね。徹底検証が必要ですね。      

 

>そのスタート地点として、「学校は何のためにあるのか」という根源的な問いに立ち返って、読者の皆さんと一緒に考えてみたいと思います。 >「不登校」は責めるものではない  >本書(『学校の「当たり前」をやめた。』)の「はじめに」でも書いた通り、学校は人が「社会の中でよりよく生きていける」ようになるために学ぶ場所です。 >そしてその結果として、学校で学んだ子どもたちが将来、「より良い社会をつくる」ことにつながっていくと考えます。   

 

そうあるべきですね。   

 

>勘違いしてはいけないのは、「学校に来る」こと自体は、社会の中でよりよく生きていけるようにするための一つの「手段」にすぎないということです。 >たとえ、何らかの事情で学校に行けなくなったりしても、学校以外にも学びの場はありますし、社会とつながることだってできます。 >勉強だってできるし、もちろん立派な大人になることができます。 >逆に、学校にきて学習指導要領に定められたカリキュラムをこなしても、知識を丸暗記してテストでよい点をとれるようになっても、社会でよりよく生きていけるとは限りません。 >この点について、私たち大人はもっと柔軟に考えられるようになっておきたいものです。  

 

日本人には ‘柔軟に考える’ ことが大の苦手ですね。その例を挙げますと、

日本人には、儀式 (作法) ばかりがあって、教義 (考え) というものがない。だから、作法ばかりにこだわって、これを励行する。子供の時には宮参り。結婚式はキリスト教。葬式は仏式でやる。全ての行為は、気分・雰囲気で決められている。 気分・雰囲気は考えの内容ではありません。 

 

>麹町中に校長として赴任した年に、不登校になっていた子どもたち全員とその保護者と平日の夜や休日を使って面談をしました。>学校に来られない場合は、自宅などで面談を行いました。  

 

大変なご苦労でしたね。  

 

>その中の一人に、学校に来られず、自宅に引きこもっている生徒がいました。>本人と面談したときに、やや緊張した面持ちだった生徒に、私はこう話しました。>「別に学校に来なくたって大丈夫だよ。 >進路のことも、高校に行きたいなら、今からでも全然問題なく行けるし、心配することなんて何もない」 >校長から「学校に来なくても大丈夫」と言われると思わなかったのか、少し驚いた様子でしたが、面談が終わる頃には、表情はかなり和らいでいたことを覚えています。 >その後、何度か面談をするうちに、その生徒は家の外に出ることができるようになり、それまで苦手だった電車にも乗れるようになって、その後、希望する進路を自ら見つけて、学校説明会にも行き、希望する学校へ進学しました。 >自らの意思で、自らの進路を切り拓いたのです。

 

‘めでたし、めでたし’ ですね。   

 

>受験して合格し、その後、一日も休まず、学校に行っています。 >進学後まもなく、彼は私の所へやって来て、学校の様子や自分が取り組んでいることについて、いろいろと楽しそうに話してくれました。 >今、不登校に苦しんでいる子どもたちや、その保護者の方々の中には、誰かを恨んでいる人がいるかもしれません。

 

そうですね。日本人の社会は恨みがましい社会ですからね。 

日本人には意思がない。受動があって、能動がない。被害者意識があって、加害者意識がない。つまり、罪の意識がない。これはアニマルも同じです。だから、日本人の道徳は冴えたものにはならない。個人判断にその基準がないからであります。大の大人に罪の意識が無く、子供のような状態で、何とも恨めしいことであります。     

 

>その多くは一方で、自分自身を強く責め続けてもいます。

 

罪のない人を責めるのは良くないですね。 

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。高踏派の人は孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない蚊帳の外にある。

 

>私はそうした人たちに「とにかくもう自分を責めないでほしい」「あなたは何も変わらなくてもいい」と伝えたいと思います。  

 

そうですね。’人の振り見て我がふり直せ’ といった自主性のない風潮が良くないですね。    

 

 

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閲覧数445 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/01/27 02:26
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