2021年01月30日(土) 

 

 

(1/5より)     

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。       

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>「社会問題にもトレンドがあります。 >メディアがそのトレンドを作り上げています」と、渡邊さんは言う。 >例えば、地球温暖化やフードロス、子供の貧困の問題、少し前なら待機児童問題、もっと前なら地雷撲滅運動と、時代によってメディアが盛んに報じる社会問題は異なる。>多くの子供たちは、メディア情報に影響を受けて、問題意識を持つことになる。

 

そうですね。これは後追いの励みですね。   

 

>だが、アショカが定義する「問題意識」は違う。 >「私たちが求めるのは、あくまで自らの気付きによって問題意識を持ち、『そんなことする時間があれば勉強しなさい』といった周囲からの妨害にも屈することなく自らを貫くような若者。  

 

これは反骨精神というのですかね。

 

>『内発的動機』と『行動力・レジリエンス』という2点を満たす若者を探しているのです」(渡邊さん)    

 

自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。そして、恣意がある。恣意の自由は何処の国でも認められていない。’自由のはき違え’ となる。だから、昔からの ’不自由を常と思えば不足なし’ のままで続いている。 

欧米人は哲学と意思により行動を説明する。日本人には、哲学と意思がないので、人の行為を ‘建前と本音’ を使って説明する。建前は (口実・言い訳・言い逃れ) である。本音は、(私意・我儘・身勝手) である。だから、現実の中に自己の行為がうずもれて低俗な感じは避けられない。意思は未来時制の文章内容になるので意味があるが、恣意はバラバラの単語 (片言・小言・独り言) のままで存在するので意味がない。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 (腹) の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来の内容は一寸先が闇である。危険が一杯である。お変わりのないことが何よりなことである。

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

恣意 (私意・我儘・身勝手) はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味はない。行為・言動の本人に説明責任はとれない。   

 

>アショカ・ジャパンは対象となる12歳から20歳までの若者が参加するイベントをチェックしたり、候補者が見つかりそうな学校に連絡をしたりして、常に調査を進めている。 >審査会のパネリストとして、毎回経済界、学界、教育界などの影響力を持つ専門家を招き、ユースベンチャラーを選出。 >過去8年間には、プレゼンターの約60%が審査をパスしてきた。 >ここに、渡邊さんが、そうした人材を「ダイヤモンドの原石」と形容する所以がある。 >「実は、日本には諸外国に比べて、若い人のやる気が低く、社会に貢献したいという希望が薄いという調査結果があります。   

 

そうですね。日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)   

 

 

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閲覧数321 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/01/30 18:25
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