2021年03月26日(金) 

 

 

>そこで自らが信じてきた合理主義や物質主義をさらに援護し実践する羽目になり、同時に自らを癒してくれる何かに縋りつく。>しかし来世とは別居したため現世しか意識できず、現世の幸福を実現してくれそうな何かを見出してそれに頼らざるを得なくなる。 

 

現実肯定主義者の悲劇ですね。各人に哲学が必要ですね。   

政治に関する考えは政治哲学になる。 歴史に関する考えは歴史哲学になる。 宗教に関する考えは宗教哲学になる。 科学に関する考えは科学哲学になる。 人生に関する考えは人生哲学になる。 などなど。        

 

>金品、娯楽、快楽、人間関係、表現、主張、いろいろあるが結局それらが行き着くのが「自由」の言葉である。  

 

個人に自由は大切ですね。     

 

>しかし現代、人の思考と行動を羽交い絞めにするものこそこの「自由」である。>「不自由」がなければ「自由」などは存在しない。  

 

自由は不自由から解き放される時の解放感ということですか。   

 

>そして不自由は権威や権力を背景にした制度によって人が好きなだけ作り出せるものである。

 

自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。しかし、恣意 (私意・我儘・身勝手) ならある。恣意の自由は何処の国でも認められていない。 それは ‘自由のはき違え’となるからである。だから、日本人は昔からの ‘不自由を常と思えば不足なし’のままでいる。 

 

>つまり民衆が自由を意識するにはそれに先立って不自由の製造がなされなければならない。>ならば権力者は不自由の匙加減をする。

 

それは法度政治の世の中ですね。    

 

>時に不自由で束縛し、また時に自由を押し付けて懐柔し、慣れた頃にそれを剥奪して恫喝し、そういった支配は古代も中世も今も変わらない。  

 

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<日本語文庫新版への序文>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の政治を語るうえで欠かせない表現の一つである「仕方がない」という言葉を放逐することに、本書がいささかなりとも役立てばと願っている。本書は、本当の意味での政治参加をさせまいとして日本に広く作用する力について詳述している。この力こそは、個々人の、市民になろうとする決意と、有効に機能する民主主義を守ろうという意志を弱めるものである。日本に作用するこの力は、独裁政権があってそこからくり出されてくるのではない。それは日本の社会環境のあらゆる場所から発現する。、、、、、この力こそが、多くの日本人が身をおく境遇に対して唯一、適当な対応は「仕方がない」とうけいれることだと思わせるのである。(引用終わり)     

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)      

 

>民衆がいくら自由を連呼したところでその敵である権威が存在する間は不自由は消えうせず、況や権威に益々の権威を与え不自由を肥大させることとなる。 

 

権威が存在しようがしまいが、政治音痴の日本人には政治的な不自由さは感じられないでしょうね。それは自然現象と同じで、不自由を常と思えば不足なし。      

 

>自由の追求が可能な領域の限界線とされている「法」と「倫理」はいずれもキリスト教社会のセキュラリストたちによって確定された。>この線は越えられないが、この線は彼らの都合で描き換えることが出来る。  

 

調節可能な線ですね。意思ある人間のすることですね。     

 

>第五に、セキュラリズムの出発点はキリスト教会の暴力からの開放でありそこから「近代的自由」が生まれた。

>しかしこれは最終的に世界の権威と権力が集中する場所つまりキリスト教社会にのみ寄与する思想であり、世界の人々は自由を求めることで知らぬ間にここに貢献させられる。

 

思想のない人間にはキリスト教社会に太刀打ちできませんね。   

 

>日本はキリスト教国ではない。  

 

日本は日本教徒の国ですね。儀式 (作法) があって教義 (教え) のない国ですね。無哲学・能天気の教徒には、教えの無さは気になる事ではありませんね。         

 

>しかし憲法と軍と経済と教育を国内外のセキュラリストによって設計された国である。>よって我が国の富と生気がキリスト教社会に吸い上げられているのは至極当然の避けられぬ事態である。

 

人間に罪の意識がある限りその魂を救済するためのキリスト教はなくなりませんね。   

 

 

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閲覧数289 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/03/26 02:33
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