2021年03月26日(金) 

 

 

 

(1/6より)

序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを日本人は有している。だから、日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎない。そのため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事は、人々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。    

 

>安全、信用、そういった一見して価値の置き所が心の中にありそうなものも例外ではない。 >たとえば建設現場や工場で取られている安全対策は人の命の尊さや後に残される家族を思ってのことではない。 >信用を失うことでこうむる損益や支払うべき賠償と安全管理への投資の比較(=損得勘定)である。  

 

そうですね。所詮は処世術 (現実) ですね。哲学 (非現実・考え) ではない。無哲学・能天気の人は処世術に頼らざるを得ませんね。     

 

>補償制度が整った先進国ほど作業場の安全への投資が余儀なくされ、それは信用の指標として商品の単価に跳ね返る。>逆に途上国では労働者に泣き寝入りを強いることで安価な製品を製造できる。>だから先進国は途上国で製造したものを輸入する。>が、資源の輸入にしろ、現地生産にしろ、「投資」の一言が先進国による途上国からの搾取に正当性を与えている。  

 

途上国は、投資を呼び込むことに熱心ですね。自国民の就職先が増えますからね。その分経済的に向上します。無職ではいられない。         

 

>途上国の産業がどのような環境下にあるかを見て見ぬ振りをせざるを得なくなる。>おなじ搾取を国内の移民に、被差別集団に、後ろ盾のない弱者たちに強いるようになる。

 

人間の平等が失われる残念な現象ですね。たゆまぬ是正の努力が必要ですね。

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>が、いつのまにか自らも搾取される側に置かれることになる。  

 

そうですね。わが国の企業は金を儲けても一人当たりのGDPは世界で33位 (2019) に落ちましたね。最高は5位 (1995) でした。        

 

>第三に、理論と数量により生まれた信用や価値というものに一人歩きを許し、それを「権威」や「知名度」に成長させてしまう。 >人はこれに出くわすことで事象の吟味を怠る。 >思考停止状態のまま社会との関係を続ける。 >多くの人々の皮膚感覚がここで麻痺を起こす。 >こうなれば内容は置き去りで権威と知名度だけを追いかけさえすれれば価値にも信用にも接することができる。 

 

そうですね。人々は身分格式を知って、それで安心する。権威主義の世の中ですね。     

 

>その指針としての貨幣が活躍し、科学者、知識人、企業、報道、教育という権威の売り手と、買い手である民衆の双方がひたすら市場を膨らませ続ける。>しかしそれは貨幣を注ぎ込み、高く売り、高く買わされ、負債を抱え、日々の糧のためとは別の無意味な労働に日の殆どを費やし、頭を悩ませ、気づけば精も魂も尽き果てることを意味する。  

 

そうですね。我々には行き着く先の内容を考える必要がありますね。      

 

>教会による民衆支配が暗黒時代と呼ばれた「中世」の全景ならば、西洋による非西洋への侵略と搾取はモダンつまり「近代」そのものといえる。>そしてその後に来るポストモダンすなわち「現代」もやはり権威による民衆への侵略と搾取である。 

 

権威は民衆に最も分かりやすい判断材料ですからね。民衆が諦めやすい手法ですね。    

 

>中世の、王権とともにあったキリスト教会が民衆の財産と精魂を吸う吸血鬼であったあの時代の相似形がいま世界中で再現されている。 >違うのはキリスト教が理論に、司祭が科学者やマスコミに、そして神が貨幣に取って代わったことである。 >アフリカなどの特定の地域ではいまだに中世と何ら変わらぬ暴力支配が続き、剥き出しの武力を行使できない国ではイデオロギーや経済の支配が繰り広げられている。>そうした歴史を現世に輪廻させるのがセキュラリズムである。  

 

そうですね。新スタイルに衣替えした輪廻転生ですね。   

 

>第四に、搾取を受ける側に落ち、現代生活に精魂尽き果て疲弊しても人々はそれを認めたがらない。>認めることで現世すなわち人生の価値が木っ端微塵に打ち砕かれるからである。  

 

やせ我慢ですね。   

 

 

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閲覧数486 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/03/26 02:11
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