2021年04月29日(木) 

 

 

>日本でもフェミニズムや男女平等などに対し、西洋のロジックを押し付け、自分たちのローカルな文化を無視して暴力的に無くす存在だと主張する声があります。

 

‘気分・雰囲気’ 対 ‘ロジック’ の戦いですね。 

 フランク・ギブニー氏の著書 <人は城、人は石垣> には、以下のような指摘があります。

日本語は英語のように、キチンとしたアリストテレス的文法に閉じこめられていない。言語として、日本語は「いま、ここ」に根ざしている。判断より気分に興味をもつ。意味より感受性に関心がある。英語を使うのは絶えず理論的な価値判断を行なう言語を使っていることであり、英語が価値判断を行わせる。一方、日本語は論理的、法的ないし哲学的判断を敬遠する。たとえば、日本語には “to be” に当る適当な動詞がない。”being” とか   “reality” のような概念は明治時代、漢字から人工的につくらねばならなかった。「概念」 (concept) でさえ人工的につくらねばならなかった。

他方、日本語は純粋に具体的なことがらの区別では豊かである。数え方を例にとってみよう。単複の区別では弱いが、具体的物体の種類の数を表現するのに、アングロ・サクソンの詩人にとっても想像を絶した多数の言葉を持っている。たとえば動物は「二匹」で、鳥は「二羽」、銃は「二挺」、飲物は「二杯」、石は「二個」、箱は「ふた箱」、葉巻は「二本」など。 (引用終り) 

 

>アメリカのQアノンにも似た状況がある。>難しい問題ですね。>(以下引用) >※M+...香港に新設される現代美術館。 >著名なアーティスト・艾未未(アイ・ウェイウェイ)氏の展示予定作品のうち、北京の天安門に向けて中指を突き立てた写真などが『国家安全維持法に抵触する』などと批判された。 >(以上引用) >© ハフポスト日本版  >伯川: >おっしゃる通りです。>日本にいる中国人留学生のなかには、海外に来てまで『中国のやり方こそが正しい』と証明したくてたまらない人も見受けられます。     

 

彼らの祖国中国は、中華思想の本場ですからね。彼らにはその歴史的背景に自信がありますね。来るべき世界の内容は想定外になっている。        

 

>これは日本人においても同じように見えます。>ネット右翼関係でなぜ話がこじれるかというと、彼らは『自分たち』と『あなたたち』を分けるんです。>そして『あなたたち』に分類されると絶対正しくないと言われる。>反日だ、韓国人だと。  

 

‘自分たち’ と ‘あなたたち’ の喧嘩ですね。喧嘩をする為には議論する必要があるのか、それとも議論をすると喧嘩になるのか。もちろん議論は付け足しでしょうね。         

 

>もちろん自分なりの価値観はあります。>ただ相手の言い分も尊重するとか、『自分はこう思うけど、絶対的な答えもないよね』というのが今のグローバル社会の学習の一環かと思います。

 

そうですね。正解は常に一つとは限りませんからね。矛盾を含まない文章は全て正しい考えを示しています。  

 

>藤田:>『我々』と『敵』に2分法して、『我々が正しく、信じない人は敵だ』と分けて動員する手法はどこの国にもあると思います。>アメリカの陰謀論者もネット右翼もそう。 >右派だけでなく左派にもそういう人たちはいます。  

 

そうですね。正と反に分けるのは討論会の形式ですね。討論は反対派を撃退する常套手段ですからね。   

 

>自分たちが絶対善になり、不遇さや問題は全部相手のせいにしてしまうと、心理的に倫理的にも楽なんですよ。 >でもそれは全く事実ではない。 

 

絶対善は現実直視を避けることによって個人が安堵を得る方法ですね。現実から逃避する情けない方法ですね。     

 

>中国の場合、批判を検閲などで抑え込むことによって、自分たちが絶対が正しい国と全体で思い込んでいるのだとすると、社会心理学的にはちょっと病的なことになりかねません。 

 

そうですね。中国には焚書坑儒の伝統がありますからね。中国人には何としてでも現実を支配しようとする飽くなき執念がありますね。       

 

>自分が思っている姿と周りの反応が違うと、ストレスを受けますよね。>例えば『自分は天才だ』と思ってモノを書いて発表しても周りから全然相手にされなかったら、傷つくかショックを受けますよね。>「俺は本当は天才なのに、認めない社会が間違っている」「社会が悪に洗脳されているから評価されないのだ」「正してやらなければいけない」などとなっていくと、危険です。>『自分が絶対正しい、理解されないのは不正があるか何か悪がいるからだ』というパターンは全世界で繰り返されています。>それに対する反省も広がってきていますが、まだ十分には生かされてないようです。>相手の価値観を尊重しないこと自体が危なさであると思います。    

 

そうですね。凡人が ‘唯我独尊’ でいる時の危うさですね。     

 

>※後編へ続きます

(略)   

 

 

 

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閲覧数70 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/04/29 01:35
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