2021年06月24日(木) 

 

 

>朝日新聞デジタル  >「報道の自由、免罪符でない」 中国が香港対応を正当化  > 朝日新聞社 2021/06/24 21:14

 (略)

> 中国への厳しい論調で知られる香港の日刊紙「リンゴ日報」の廃刊をめぐり、中国外務省の趙立堅副報道局長は24日の定例会見で「香港は法治社会だ。報道の自由は免罪符ではない」と語った。  

 

そうですね。中国は権威主義者の作った法治国家ですね。個人の価値観を示す機会は失われつつありますね。      

 

>同紙創業者らの逮捕や会社の資産凍結で同紙を廃刊に追い込んだ、香港当局の対応を正当化した形だ。  

 

立憲主義、人権、民主主義といった近代憲法の諸概念は欧米由来のものであり、こうした諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎であります。普遍的なものとして受け入れなければならない。   

 

> 趙氏の発言は、加藤勝信官房長官が同日の会見で同紙の廃刊について「重大な懸念を強めている」と述べたことに関する質問に答えたもの。 

 

加藤勝信官房長官の発言には重みがあったのですかね。

 

>趙氏は加藤氏の発言について「でたらめな理屈は絶対に受け入れない」などとして、「日本の政治家が公然と中国内政に干渉することに対し、強烈な不満と断固とした反対を表明する」と語った。

 

加藤氏の発言は出鱈目な理屈ですかね。もしそうであるならば内政干渉は良くないですね。我々日本人には真理や法則、概念や倫理がありますかね。      

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 ‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’    (ウスビ・サコ)      

 

>(北京=高田正幸) 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。進歩が期待できる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' ということになり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の比較はこれである。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。  

 

 

 

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閲覧数286 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/06/24 23:22
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