2021年12月08日(水) 

 

 

>80年前に見た連合艦隊 大分の武田さん 戦争の愚かさ語り続け  > 毎日新聞 2021/12/08 13:30

 (略)

> 日米戦争の戦端を開いた米ハワイ・真珠湾への攻撃から8日で80年。>大分県佐伯市の武田剛(こう)さん(92)は子供の頃、近くの佐伯湾から真珠湾に向けて出発する旧日本軍の連合艦隊を目の当たりにした。

 

当時は軍国主義の時代でしたね。   

 

>当時は感嘆したが、やがて戦況は暗転。 >兄は戦死し、武田さんたちも空襲被害に見舞われた。 >「艦隊は領土を広げようとする当時の日本の象徴だった」。 >武田さんは戦争の愚かさを語り続ける。

 

当時は愚かな人ばかりがいたのですかね。利口な人はどうしていたのでしょうかね。     

 

> 1941年の晩秋、武田さんは友人に誘われ、佐伯湾を見下ろす近所の山を駆け上がった。>眼下に旧海軍の航空母艦や巡洋艦、それを取り巻く数十隻の駆逐艦、補給船の大艦隊が見えた。>軍艦に憧れていた武田少年は息をのんだ。  

 

みごとなものですね。プラモデルを使って遊ぶのならば問題は無いでしょうがね。   

 

> 佐伯湾は34(昭和9)年に佐伯海軍航空隊が開設されるなど防衛の要衝として発展。>防衛庁(現防衛省)が編さんした戦史叢書(そうしょ)には、真珠湾出撃のため佐伯湾に集まった部隊が41年11月18日、待機地の択捉(えとろふ)島に向けて出発したとの記録がある。 

 

残念なことでしたね。

 

> 武田さんが真珠湾攻撃と日米開戦を知ったのは12月8日朝。>学校のスピーカーから「軍艦マーチ」が流れ、攻撃の成功を知らせた。 >「あの時の艦隊がハワイに行ったんじゃなかろうか」。 >武田さんは友人と顔を見合わせた。 >中国との戦争が続く中での日米開戦に「大丈夫じゃろか」と不安が頭をもたげた。  

 

彼を知り己を知れば百戦殆 (あや) うからず (孫子・謀攻)   

世界情勢に明るい人は政治家にはいなかったのですかね。   

 

>その後、佐伯湾に姿を見せる艦船は少なくなり「沈んだんじゃろうか」と心配した。

 

艦船が撃沈されたニュースはほとんどありませんでしたからね。   

 

> やがて国内は空襲被害に見舞われ、大分にも米軍機が飛来するようになった。  

 

日本軍機はほとんど応戦しませんでしたね。  

 

>武田さんも戦闘機の機銃掃射に遭い、左耳の鼓膜が破れた。>勤労動員された造船所に向かう途中、直撃弾を受けた防空壕(ごう)から遺体を運び出したこともあった。 >「内臓や血、雨や泥が混ざり合って、何人が亡くなったかも判然としない。>吐き気が止まらなかった」。  

 

武田さんはさんざんな目にあいましたね。戦争反対の人はいなかったのですね。一億一心だったのですね。      

 

>6歳上の兄信治郎さんはサイパンで戦死した。

 

それはお気の毒なことでしたね。     

 

> 戦後は酪農や農業を営みながら金庫店を開いて生計を立てた。>軍艦と共に命を落とした将兵の鎮魂を願って、40年ほど前から趣味の油絵で「大和」「最上」といった艦船を描いている。 

 

鎮魂で戦争が無くなると良いですね。    

 

>6期務めた旧佐伯市議時代、あいさつで戦争体験に触れることが多かったことから、小学校などで講話する機会にも恵まれた。 

 

武田さんは戦争の語り部になったのですね。   

 

> 「日本は戦争で自国民や多くの諸外国の人を死なせた。>人を殺すのは最も重い罪悪なのに、国家の名で人を殺すと美化される。

 

‘汝、殺すなかれ’ ですね。政治家の罪か、国民の罪か。      

 

>子供の頃から合点がいかなかったし、今も強い憤りになっている」。 >命ある限り語り続ける。 

 

誰に向かって憤ったらよいのですかね。    

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)   

 

>【津島史人】   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。      

 

 

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閲覧数278 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/12/08 21:46
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