5箇月近く前に投稿したつもりでいたが、違ったので、今日投稿する。 1730開場、1800後援会総会開始、である。 1718母車発車、曇り。 1732美感ホールで下車、母は車を停めに市営第3Pへ。 榛葉昌寛氏(テノール歌手)の御尊父と、雑談(天気予報が外れて降らなくて良かった、等)。 1740母が来、私のチケット(4000円)を受け取り。 会場に入って、1745着席、前から3列目の中央(自由席、早かったのでガラガラ、前2列は着席禁止)。 1801~1811榛葉昌寛後援会総会。 尿意あり。されど会場混雑。 1822久保田市長が奥様と来場、一般席へ。偶々46歳の誕生日だったので、おめでとうございますと声掛け。 1831第9回バチカンより日本への祈りのレクイエム2022開会。東日本大震災音楽復興支援コンサートである。榛葉昌寛氏が総合プロデューサ。 1837~1843フランチェスコ・モンテリーズ枢機卿のビデオメッセージ(新型コロナとウクライナで来日ならず)。 1845~1921第一部、8曲。名歌手たちと、一流ピアニストと、上手な司会(元静岡放送アナウンサー)。 休憩。1923小用(障害者トイレ)。 1936~2030第二部、7曲。 ~1938スポンサ企業紹介。 ~1951榛葉昌寛挨拶。1946~1950市長にサプライズでハッピーバースデー(市長が陸前高田市副市長だった頃からの縁という)。 2030~2036アンコール、1曲(いつもの「ヴォラーレ」)。 2036離席。 2039母車に着、真っ暗。 2047母が来。 2049母車発車。 P代400円母支払(駅から遠いので廉い)。 2108帰宅。 <パンフレット表紙> <枢機卿と出演者> <プログラム> |