2022年09月28日(水) 

 

>スポニチアネックス   >大学って何のために行くん? 勉強せんとスポーツばっかりしてる人、よう聞いてや   > スポーツニッポン新聞社 2022/09/28 08:00  

(略)   

> 【名将・鳥内秀晃の人間話 頼むでホンマ】ユニバス(UNIVAS)って、どれくらい世間に浸透してるんやろ。  >文科相とスポーツ庁が2019年3月に設立した大学スポーツを統括する団体で、日本版NCAAって呼んでもええやろな。  >目指す方向性は正しいねんけど、今のところは全く機能してへん感じやわ。  

 

そうですね。カエルの面に小便ですね。   

 

> ホームページを見ると、「大学スポーツにおける??デュアルキャリア??とは、学業、競技活動などを通じて自身のキャリアをより豊かにするために取り組むことを意味する」って書いてんねん。   

>文武両道を目指し、最低限の教養を身につけて、社会でも通用する人材を育成する、という理念は結構やわ。   

>けど、本気で実現させようと思ったら、10年、15年はかかるで。   

>今はスポーツ推薦で学力関係なしに入れる大学がいっぱいあるやん。   

>そういう勉強する習慣のない今の高校生に「急にやれ」いうても無理な話やし、仮に大学へ入っても、卒業なんておぼつかへんわ。   

>小学生くらいから将来のことを考えて指導して、自主的に勉強するようにさせるには、これくらいの時間が必要って話やな。  

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

> NCAA(全米大学体育協会)かて、30年くらい前までは、高校の成績関係なく、スポーツ奨学金をもろて大学に入る学生がおったわ。   

>けど、いろんな問題を起こすようになって、高校で最低限の評定点を取ってなかったら入学もできひんし、一定の単位を取ってなかったら、試合にも出られへんというルールができて、明らかに変わったな。   

> うちのクラブも一時期、留年する学生が増えて、オレが監督やってる15年くらい前かな、規則を作ったんよ。   

>在学中に取得せなあかん単位を4で割るやろ。例えば120やったら、1年間で30以上取らへんかったら、練習にも参加できませんよ、と。   

>下級生のうちに頑張っていっぱい単位取って、上級生になってからフットボールに専念してもええやん。   

>それがうまく機能したんで、大学も、このシステムを採用するようになったわ。   

> 結局な、フットボールをはじめ、課外活動っていうのは、人間形成のためにあるもんやろ。   

>それを考えると、すぐに処分が決まった同大アメフト部の事件※は、教育ということを忘れてしもてるんとちゃうかな。   

 

事件の中身の吟味が大切ですね。   

 

>まず被害者の女性はホンマに気の毒やったと思うし、加害者の4人が誠心誠意、謝罪して、罪を償うのは当たり前やな。   

> ただ、連帯責任については、もっと深く考える必要があるやろ。   

 

そうですね。日本人には意思がない。意思の無い人間には責任もない。説明責任が取れないのだから、考える余地もない。出来心か。      

 

>今回は4人とも同じ大学のアメフト部員やったけど、もし違う部とか、違う大学の学生、クラブ活動してへん一般の生徒が交じって部員が1人やったとしても、やっぱりフットボール部の連帯責任になったんかな。   

>早い決断は分かるねんけど、何の罪もない4年生は、大学生活の最後に試合する機会を奪われて、ホンマにかわいそうやで。   

> なんで真面目に頑張っている子まで、被害を被らかなあかんの。  

 

そうですね。責任観念の確立していない社会では分析ができないために、被害は理不尽に広がりますね。  

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)    

 

>もちろん、事件を起こした4人は論外やで。   

>春のシーズン中に、しかもコロナ禍で外出したらあかんて言われてるのに繁華街へ行って、あんなことするなんて弁解の余地もないわ。   

>活動停止して、何でこういう事件が起きたかを話し合うのは大事やと思うで。   

 

日本人は自己の ‘あるべき姿’ を持っていないので、批判精神がない。だから、話し合いも意義あるものになりませんね。    

 

>けど、今年の試合を全部アウトにするんは違うんちゃうかな。   

>クラブ全体の連帯責任が、教育にとってふさわしい決定かどうか疑問やわ。   

 

そうですね。一億総懺悔のようなものですね。責任は霧散してしまいますね。      

 

> 競技に関わってきた身として言いたいのは、アメフト界は過去にあった事件や事故をちゃんと公にして、その後に生かしてるってことやねん。   

>昔と比べたら、練習や試合の事故も大きく減っているわ。   

>一部で「またアメフトの選手が不祥事を」って声が上がっているのも承知してるけど、再発防止のために、原因を究明して、二度とこんなことが起きんようにせなあかんわな。   

 

そうですね。しかし、日本人には意思がない。だから、受動があって能動がない。被害者意識があって、加害者意識がない。罪の意識もない。それで、病める魂の持ち主もいない。深刻な反省に至ることもない。だから、二度とこんなことが起きないようにすることも難しい。        

 

> 今回起きたことだけやなくて、全ての大学はクラブについて、私生活を含めて、もっとちゃんと調べた方がええで。   

>ホンマに課外活動が教育の一環として成り立ってるんかどうか、考え直すええ機会や。   

>たまたま事件が表面化したけど、これは氷山の一角かもしれへんやん。   

>大学が何のためにあるのかを見つめ直した方がええわ。   

 

体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  日本人には自己の考え (非現実) がない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。思考を停止している人は、つかみどころのない人間になる。     

 

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

 

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

 

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)

 

我が国には人手不足の話はあるが、頭脳不足の話はない。わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの歌詞には意味がない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)    

 

>頼むで、ホンマ。   

>(関西学院大アメリカンフットボール部前監督)   

> ※同大アメフト部員4人が準強制性交の疑いで9月8日に逮捕。   

>同部は無期限の活動停止を発表し、今季の関西学生リーグ1部出場を辞退した。   

 

 

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閲覧数107 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/09/28 22:32
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