2022年12月01日(木) 

 

>異見・先見 日本の教育   >同調圧力からの脱却で生まれる多様な議論   >東京新聞記者  >望月衣塑子   >(『新教育ライブラリ Premier II』Vol.6 2022年3月)   

> 官房長官会見でのやりとりの印象が強いのだろう。   

>「望月さんみたいに、どうしたらはっきり意見を言えるようになりますかね」。   

>大学などに呼ばれて講演をすると、先生や学生からそんな質問や相談を受けることがある。   

>大学の授業では、少人数による討論式・対話型の授業も行われている。    

>だが、他の学生の見解に、あえて批判的な意見を出すように先生が促しても、どうも学生同士では遠慮がちになるらしい。    

 

日本人には意思というものがない。だから、万事控えめですね。   

 

> 今回のお題は「学校や教育で問題と思っていることを挙げて、改善を提言する」とのことなので、あくまで私見にすぎないが、いろいろ述べてみたい。   

> こうしたイマドキの学生らの遠慮というか、批判することへの尻込みっぷりは、彼らが高校までの学校生活でさらされてきた「同調圧力」に原因の一端があるのではないかと思う。   

 

人の振り見て我がふり直せ。日本人は皆が足踏みを揃えるしかないですね。   

 

> 人の目を気にすると、どれだけ自分がまっとうな批判をしていても、「相手に不快な思いをさせているのではないか」とか、「『悪口』や『人格攻撃』と思われるのではないか」と不安になるものだ。   

 

そうですね。自分自身の忖度 (推察) に悩まされますね。   

 

>ひいては「周囲から浮いてしまう」「仲間外れにされる」「いじめのターゲットにされるかも」などと、はみ出すことへの恐怖が心を支配していく。   

>そんな根拠のない不安のせいで、自分の主体性や可能性をつぶしてしまうなんて、本当にもったいないことだ。

 

本当にそうですね。    

 

> 学校でクラスや部活の仲間と集団活動をするなかで、周囲と違う発想をしたり、自分の意見を主張したりすることは本来、社会の利害と対立しない。   

>むしろ歴史的にみれば、人類の発展につながるイノベーションや新たな発見は、その集団からみて「ちょっと変な人」から生み出されてきたように思う。   

> しかし、集団のなかで同調圧力を感じ、過度に横並びを意識すると、自分の個性や主張を抑える方向に力が働いてしまう。   

>それどころか、不器用で同調できなかったり、気質的に空気を読むことが苦手だったりと、さまざまな事情を抱える他者に対し、「自分は我慢しているのに、勝手だ」「目立ちたがりだ」などと憎悪を募らせかねない。   

 

雉も鳴かずば撃たれまい。不自由を常と思えば不足なし。       

 

>いじめや、「スクールカースト」のような児童・生徒間のマウンティングがはびこってしまうかもしれない。   

 

「マウント」とは、人類を含めた哺乳類が、相手の上に向かい合った状態で馬乗りになる、乗りかかる行為を指す。登る、乗る、またがるを意味する“mount”が由来。 マウントを取る行為は、自分の優位性をアピールすることを意味する。その延長で、容姿や仕事、お金や恋愛について話す様々な場面で、互いに“格付け”し合い、相手よりも上に立とうとする言動や行為の全般を表す。   

 

>褒め言葉で引き出す自己肯定感    

> ここまで偉そうに書いてみたものの、自分を振り返れば、小学校に入るまでは周囲の目を気にしていたし、引っ込み思案な性格だった。   

>そんな自分を変えてくれたのは学校の先生だ。   

> 私は東京学芸大学の附属小学校に入学したため、近所の同級生の女の子とは接点がほとんどなく、一緒に遊ぶこともなかった。   

>入学後もおとなしく人の後ろについて行動するようなタイプだった。   

> 唯一、熱中したのがサッカーだ。   

>当時、週刊少年ジャンプで『キャプテン翼』が流行っていたこともあり、学校では男の子のクラスメートとサッカーばかりやっていた。   

>勉強もあまりまじめにやらなかったし、相変わらずクラスになじめていなかった。   

>だが、1、2年生のときの担任の先生はとにかく「すごいな」とサッカーを褒めてくれた。   

>私としてはプレーが上手なわけでもなく、こそばゆかったのだが、それでも先生は「そこまで熱中することがえらいんだ」という。   

> そのうち先生は「サッカーだけでなく、他のこともどんどんやってみなさい」「絶対できるよ」とうまく乗せてくれた。   

>不思議なもので、褒められて自信がつくと友達も増え、仲間と一緒にみんなで何かやるとことが面白くなっていった。   

>すると担任の先生は「やっぱりすごい」と褒めちぎってくれた。   

>その言葉が聞きたくて、さらに頑張った。   

> 大人になって冷静に振り返ると、うまくおだてられていたのだろうと思うが、自己肯定感が生まれたおかげで、その後も授業や学校の課外活動などに積極的に参加できるようになった。   

>この先生は私が小学校2年生の終わりに、他の小学校の校長に異動してしまったが、今でもよく覚えているし、とても感謝している。   

> 小学校では教育実習生からも刺激を受けた。   

>教員養成機関の附属校には年2回ほど、教育実習の大学生がやってくる。   

>普段接する大人は学校の先生と自分の親ぐらいだが、より年齢的に「身近な大人」が持ち込んでくれる話題や感性、アイデアはいつも新鮮だった。   

> 実習生とは授業や課外活動の合間の時間などでいろいろな話をした。   

>実習生は自分の専門領域の研究テーマを掘り下げた授業をするため、教科書の範囲からはみ出した面白い授業が多かった。   

>中には教師以外の道に進む人もいて、彼らの将来の夢を聞きながら、外の世界を垣間見ることができた。   

>いろんな大人の価値観に接する機会が得られたのは、附属校に通った最大のメリットだったと思う。   

> こう書くと、真面目な児童だったようにみられそうだが、高学年になって反抗期に入ると、周りの女子を巻き込んで担任の先生に食ってかかることもあった。   

>思春期特有の怒りや疑問を、身近な大人にぶつけていたのかもしれない。   

>クラス運営の観点でいえば、あまりいい児童ではなかったと思うが、当時は先生の指示や学校のルールがおかしいと思っており、疑問を残したまま従うのはいやだった。   

>それでも、担任の先生は粘り強く「うんうん」「でもね……」と議論につきあってくれた。   

>今から思えばありがたいことだ。   

> 学校教育では「児童・生徒の多様性の尊重」を掲げているという。   

>私の場合は、こうした小学校時代の体験が基となり、①自分の意見を持つ、②何かをやり遂げるため、他人を巻き込む、③納得するまで議論する──といった姿勢が培われたと思う。   

>児童・生徒が自己肯定感を持ち、個性を伸ばした先に、多様な思想や自由な発想が生まれる。   

>それが私の持論だ。   

> 個性を伸ばすといっても、もちろん他人への配慮は必要だ。   

>周囲に迷惑をかけないことや、協力して目標を達成することは、将来、仕事をする上では必要なスキルだし、社会が学校に求める役割のなかでも、「集団生活における社会性を身につけ、正しいルールやマナーを守ること」はプライオリティーが高いだろう。   

> だがそれ以上に、自分の考えを相手にきちんと伝えることがやはり大切だ。   

 

そうですね。自分の考えが大切ですね。      

 

>「いいからルールに従え」などと言われ、もやもやしたまま不満を飲み込むことに慣れると、やがて考えることをやめてしまう。   

>その方がよっぽど怖い。   

 

その時は、‘求大同、存小異’ (小異を残しての大同につけ) ですね。    

 

> ちなみに、私が勤務する東京新聞は個性豊かな人たちが集まっている。   

>雑談から議論がスタートして、記事や取材のヒントが生まれることがある。   

>激しくぶつかることもあるが、周囲にあわせることばかりにエネルギーを使うなんて、自分の人生を無駄にしていると思う。   

 

そうですね。自己実現から遠のきますね。  

 

>もちろん、いろいろ私に足りない部分は迷惑をかけていると思うし、周囲がサポートしてくれていることは理解しているつもりだ。

 

全知全能の神はあなたの頭の中にいる。    

 

>批判を忌避し、空気を重視する危うさ   

> さて、新しい学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び」が導入され、2022年度までに小学校から高校まで全面実施されるという。   

>対話的な学習形式では、ときに相手の主張を批判しなければならない。   

> お互いの主張に論理的な間違いがあれば、指摘して軌道修正しなければ、結論はあさっての方向に進んでしまう。   

>正しく議論を深めるためには、批判的視点は不可欠な要素だ。   

>学校でそうしたトレーニングを積むことができるのであれば、期待できそうだ。   

> 人間の価値観や主張なんて違って当たり前。   

 

そうですね。個人主義ですね。   

 

>そうした前提にたって、批判や議論の作法を磨かなければならない。   

>外国に留学した経験のある方などは、身を持って実感したのではないだろうか。   

> ところが、多くの日本人のように、他人と意見をぶつけあうことに不慣れな場合、相手の主張は単なる「わがまま」に、議論はただの「言い争い」に受け止める人もいる。   

 

そうですね。    

 

>すると、批判したり異論を示したりすること自体に嫌悪感を持ち、「ことなかれ主義」的な同調圧力につながっていく。   

 

我儘と言い争いを抑えて和を以て貴しとなす。ことなかれ主義に徹していますね。     

 

> その感情がエスカレートすると、他人に対して極端に攻撃的な言動に出てしまう。   

 

礼儀正しい日本人も台無しですね。    

 

>ネット上のいじめが最たるものだろう。   

>社会部で取材をしていると、自死に追い込まれた女子プロレスラーの木村花さんの事件のように、SNS上で誹謗中傷を受ける事案が増えていると感じる。   

>匿名で書き込んでいる人間は議論を目的としていない。   

>ただ攻撃してダメージを与えたいだけだ。   

> 残念なことに「言論の府」たる国会の討論をめぐっても、与党批判する野党に向けられた嫌悪感や攻撃的な言葉がみられる。   

>特に、第2次安倍政権がスタートした2012年以降は顕著で、「野党は批判ばかりで意味がない」「偏った思想に基づいてけちをつけている」「批判するだけならバカでもできる」といった具合だ。   

 

議員はお互いに政治哲学を持ちましょう。そうでなければ愚痴の言い合いになります。これは歌詠みの流れをくむものか。      

 

> 「批判が無意味」と“批判” することは、いま自分の口からこぼれた言葉も全くの無価値ということになる。   

>こんな論ですらないものを相手にする必要はないのに、最近は一部の野党も「批判ばかり」の声に尻込みしているようだ。   

>嘆かわしい。   

> 自分の思想や論を磨くよりも、周りの空気を読むことを優先する。   

>出てくる言葉は他人への冷やかしと攻撃。   

>それでマウントをとって気を紛らわせる──。   

>なんと小さいことだろう。   

>そんなけちな社会になってしまった原因の一つに、第1次安倍政権下の2006年に行われた教育基本法の改正がある。   

> 「飛躍しすぎじゃないか」と思うだろうか。   

>でも、それまで前文にあった「個性」の文字が削られ、代わりに「公共の精神」が明記された。   

>確かに「個性よりも、公共精神を優先しろ」とは書いていないが、「わかるよね、君」とぽんと肩をたたかれた感じ。   

>現場にはそう伝わったのではないか。

> 先ほども書いたが、個性を伸ばすことと公共性を持つことは相反しない。   

>むしろ多様な価値観が公共の利益につながるのだが。   

> もう一つ、いまの学校教育で問題だと思っているのが、現場が「政治的中立」を過度に意識しすぎていることだろう。   

 

無哲学・能天気の民は政治的中立になるよりしかたないですよね。   

 

>実際、国際問題などの時事ネタや、憲法改正問題を巡る論争などは授業のなかで取り上げにくくなっていると聞く。   

> 「保護者から偏っているとクレームがくるかも」と思えば、わざわざ授業で踏み込まないだろう。   

 

個人に意見があって当たり前ですよね。    

 

>結果として、いま動いている「生々しい」政治的な題材について、授業で取り上げる機会が減ってしまう。   

>そのせいだろうか。   

>驚くことに、最近では憲法9条も知らない生徒が出ていると聞く。   

 

平和国家の堕落でしょうね。   

 

> 2016年に選挙権年齢が18歳に引き下げられ、主権者教育も進められている。   

>総務省の「常時啓発事業のあり方等研究会」の最終報告書では、現代に求められる新しい主権者像として「国や社会の問題を自分の問題としてとらえ、自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者」を挙げている。   

 

残念ながら日本人には批判精神 (critical thinking) がない。   

 

>それなのに、今の政治について学校で学ばなければ、投票しようにも判断基準がわからないだろう。

 

そうですね。    

 

> 海外ではもっと早くから政治との関わりを学ぶ。   

>夫婦漫才コンビ「おしどり」のマコさんとケンさんは、ドイツの中高生の授業の現場を訪れた際、生徒がそれぞれ支持する政党名とその理由を示した上で議論していることに驚いたという。   

 

彼等には自己のリーズン (理性・理由・適当) がありますからね。それを自分自身で明らかにするのが彼らの勉強ですね。        

 

>「もう自分の支持する政党などを答えられるの?」とマコさんが尋ねると、生徒からは「日本では何歳になると答えられるようになるんですか?」と逆に質問されたという。

 

日本人は思考を停止している。だから、洗脳教育を受けるまでは自分の答などは出て来ない。これはノンポリ・政治音痴の恐ろしさである。      

 

> 2021年の衆院選の投票率は55.93%と戦後最低から3番目と低かった。   

>選挙に行かなかった10代は5割超、20代は6割を超える。   

 

これはノンポリ・政治音痴の効果ですね。    

 

>多くの若者にとって、政治は他人事になっている。   

>政治家は高齢者が多い。   

>投票する人も高齢者。   

>すると当然、政治家は票につながる高齢者層を優先するような法律を成立させ政策を進める。   

>若者と政治の距離はますます離れていく。   

>思い切った外部委託で価値観の交流を   

> 政治の話が長くなったので、話を少し戻す。   

>学校教育のカリキュラムだけで「主体的・対話的で深い学び」が身につくかと考えると、おそらく無理だと思う。   

>誰しもいつかは学校を卒業するわけで、その後の人生は自分の置かれた環境のなかで、自ら学びを見つけていくしかないからだ。    

> 道徳的価値観や自分の将来像についても、学校の学びだけで獲得するのは難しい。   

>例えば、私が新聞記者という仕事を意識したのは、中学校に進学した頃に母から手渡された1冊の本がきっかけだった。   

>その本は、フォトジャーナリスト・吉田ルイ子さんの『南ア・アパルトヘイト共和国』で、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)そのものは学校で習って知っていたが、写真のインパクトにすっかり圧倒された。   

>そう考えると、先に紹介した教育実習生の存在もそうだが、自分が将来に与える影響では、学校外の人や本との出会いは重要だったと思う。   

> ここからは提案となるが、学校の先生の労働環境が問題となっているいまこそ、主権者教育が想定する「社会参加の促進」や「参加型学習」の要素をもっと拡大してはどうだろうか。

 

そうですね。日本人には現実直視の教育が必要ですね。    

 

> 具体的には、部活動など課外活動はすべて外部に委託する。  

 

ブラック部活よ、さようなら。ピアノのレッスンのようにやればよい。      

 

>さらに音楽・芸術・運動・プログラミング・語学・情報といった授業の一部もコマ単位で完全に民間企業に任せてしまう。   

>とくに情報技術分野は変化のスピードが速いので、先生に研修で学ばせようとしても絶対に追いつかない。   

>いまはコロナ禍で外部との接触が難しい部分もあるが、タブレット端末やPCを使ったリアルタイムのオンライン授業であれば、ある程度カバーできるだろう。   

> これらは学校やクラス単位で業者を選定するのは難しいので、地域の複数の学校が合同で参加する形になる。   

>先生からすれば、研修や部活にかける時間や費用などのコストを抑えることができるし、なにより学校の先生も児童・生徒も、普段のクラスや学校の枠組みを越えた外部との交流が生まれる。   

>個性を磨くチャンスだ。   

>メリットは多いと思う。   

> 外部の人間を学校に呼んでもいい。   

>児童・生徒の親に講演や授業をしてもらう。   

>地元の地方議員を呼んで政治を語ってもらってもいい。   

>もちろん、毎年同じ人を呼べるわけではないので、授業の中身はばらつきがでる。   

>民間企業の宣伝っぽさや政治的な主張の偏りも多少は出るだろう。   

>でもここで公平性や中立性を考えすぎると選択の幅が狭まり、実現が難しくなる。   

>学校側がまず柔軟な対応をしてみてはどうだろう。

 

そうですね。それがよろしいようですね。   

 

>望月衣塑子 もちづき・いそこ   >1975年、東京都生まれ。   >慶應義塾大学法学部卒業後、東京・中日新聞に入社。   >千葉、神奈川、埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件中心に取材。   

>2004年、日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連の事実をスクープ、自民党と医療業界の利権構造を暴く。   

>東京地裁・高裁での裁判を担当後、経済部記者、社会部記者として、防衛省の武器輸出、軍学共同をテーマに取材。   >17年からモリカケ疑惑の取材チームの一員となり、官房長官会見で質問し続ける。   

>現在、社会部遊軍記者として入管や外国人問題、ジェンダー格差などをテーマに取材。   >17年に、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、19年度に「税を追う」取材チームでJCJ大賞受賞。   

>近著に『報道現場』(角川新書)、『ジャーナリズムの役割は空気を壊すこと』(集英社新書)、『自壊するメディア』(講談社+α新書)。   

 

 

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閲覧数104 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/12/01 12:53
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