2023年02月23日(木) 

 

>東京新聞   >空気に操られる怖さ、民主主義を児童書で伝える 「脱サイレント・マジョリティー」がテーマ   >昨日 16:00  

> 「空気を読んでばかりいないで自分で考えよう」。   

>子どもたちにそう呼びかけて民主主義の理念を伝える児童書「『くうき』が僕らを呑(の)みこむ前に」(理論社)が出版された。  

 

それは画期的な試みですね。   

 

>本には、空気によって物事が決まりがちな社会で、子どものうちから自分で考え、行動する力を身につけてほしいという願いが込められている。   

>(小椋由紀子)   

> 物語は、横たわって空を仰ぐ兵士の描写で始まる。   

>「まさかこんなふうに死ぬなんて」。   

>戦争で命を落とすなんて思ってもみなかった普通の人だ。   

>「きみの未来だとしたら?」。   

>やわらかいイラストに、重たい問いが並ぶ。   

> 想定する読者は中学生から大人まで。   

>言論の自由が専門の山田健太専修大教授と、自身も中学生の子を持つ美術作家のたまむらさちこさんが共に製作した。   

> 本は社会を「たまたま一緒の電車に乗った人たち」に例え、「まさか」の未来にたどり着かないため、どうしたらいいか考えることを促す。   

 

日本人には過去・現在・未来といった世界観が無いので、考えが未来にはたどり着きませんね。   

 

> 公園の使い方やブラック校則といった身近な事例に四コマ漫画を交え、話し合いの手順や空気に操られる怖さを紹介。    

>多数決、少数意見の尊重と対話の大切さ、言論の自由など民主主義を支える仕組みが、物語を読み進めながら理解できるように構成されている。   

> 副題は「脱サイレント・マジョリティー(脱・物言わぬ多数派)」。   

>皆が思考停止した状況では忖度(そんたく)や同調圧力が働き、空気が物事を決める。   

>場合によっては、誰も望んでいなかった選択をしてしまう可能性を指摘。   

 

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。 ものを言ってもそれが行動には繋がらない。だから、結果的に ‘うそぶく’ 人ということになる。これが、相手に不信の念をいだかせる。考えがあり、その実現に強い意思を示すという手順がわが国には存在しない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。それで、おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら 我々は '指示待ち人間' として育成されていたようです。このやりかたに習熟すると、他人の受け売りと後追いの専門家になりますね。我が道を行く人にはなりませんね。未来を先取りしないから他人を唱道する人にはなれません。   

 

>家庭やクラスなど少人数の集団で自分の考えを言う練習をしようと呼びかける。   

>◆「日本では小さいころから空気を読むのが賢いとされがち」   

> 今の社会が抱える問題点や、自分で考える大切さを共著者の山田健太教授に聞いた。   

> 日本では「民主主義」や「自由」といった言葉が実感を伴わずに上滑りしている。   

 

日本語は写生画の言葉である。本当の事は見ればわかる。見ることのできない内容は嘘である。このやり方では自分の考えは育たない。   

 

>当たり前のようにある理念を具体的に示すことができれば、何となく空気で決まる社会の状況を変えるきっかけになるのではと思い、児童書を作った。   

> 特にコロナ禍の3年間は空気によって世の中が動いてきた。   

>マスクやワクチン、政府の方針も、一定の科学的根拠はあっても、最終的には社会の雰囲気で決まってきた。   

>そういうのに慣れてしまうと、決まり方もぐずぐずになって、議論の土壌がなく、反対も感情的にするしかなくなる。    

 

そうですね。日本人は特に感情的ですからね。   

 

> 岸田政権は、安倍晋三元首相の国葬のほか、敵基地攻撃能力(反撃能力)保有や防衛費の大幅増を明記した安全保障3文書の改定を閣議決定だけで決めた。   

>原発活用の政策転換は国会論議がほとんどないまま決定。   

>議事録もちゃんと作成しない中で決まっていくことも多く、決め方がいいかげん、大事な会議ほど記録を残さないあしき慣習は強まっている。   

 

そうですね。これはわが国の昔からの習慣でしょうね。   

現実 (事実) は見ればわかる。現実の正解は一つしかない。全ての考え (非現実) は文になる。非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。文にならないものは考えではない。矛盾を含んでいない文は全て正しい考えを示している。考えは人人により違っている。だから、考えの正解は無数にある。矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っている。だから、正解は無数にある可能性がある。

文は、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて単語の内容を逐一理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。理解は人間だけが持つ言語の世界である。その対極は ‘なれ合い’ とか‘なあなあ主義’ である。これらは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませることである。理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので話にならない。歌詠みのようなものである。かくして、日本人の対話は不可能になる。  

 

> 社会の分断も進んでおり、子どもたちにも波及している。   

>さらに、日本では小さいころから空気を読むのが賢いとされがちだ。   

>思考停止してなんとなく空気に流されているうちに、自分も社会も不幸な結論にたどり着いてしまうかもしれない。   

 

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’  (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)   

 

>「おかしい」「変だ」と思ったら、まず立ち止まり、考えることが必要だ。   

> できる限り広い関心を持ち、報道を見聞きして情報を集め、その裏側や登場人物のことを想像する。   

 

賢い人は ‘純粋によく観察する’ が、そうでない人は ‘自分の期待したもの’ しか見ようとしない。

 

>感じることがあれば誰かと話してみたり、助けを求めたりと行動する。   

>そういう習慣をできるだけ早いうちから身につけてほしい。   

 

そうですね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

 

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閲覧数82 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/02/23 04:06
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