2023年02月22日(水) 

 

>ダイヤモンド・オンライン   >岸田政権が「支持率急落」でも倒れないと言える理由、背景に“古い価値観”   >上久保誠人 によるストーリー • 昨日 6:00  

>内閣支持率が急落しても、岸田文雄首相に動じる様子はない。   

>その泰然自若とした姿は、支持率低下が必ずしも政権交代に直結しなかった「中選挙区制時代」の宰相に通じている。   

>防衛増税のように「不人気だが必要」といえる政策を打ち出せる胆力は、古いタイプの政治家ならではの強みだ。   

>一方で、その「古さ」は、息子を首相秘書官に登用して批判を買う、同性婚を巡る答弁で“炎上”するといった弱点にも通じている。   

>そんな岸田氏率いる政権は、これからどこへ向かうのか。   

>(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人)   

(略)   

>歴代首相とは異なり首相就任後も派閥のトップを継続   

> さらに言えば、岸田首相は首相就任後も岸田派(宏池会)の会長職を続けている。   >一方で、歴代首相の多くは首相就任に当たって派閥のトップから降り、派閥から離脱してきた。  > 岸田首相の対応は異例である。   

 

異例で良いのか悪いのか。それともどうでも良い事か。   

 

>菅前首相や石破茂元幹事長などが、現首相の「派閥主義」に批判を展開したこともある。  >だが、岸田首相はこうした指摘も気にしているようには見えない。

 

政治哲学がないのであれば、派閥の結束を強めて乗り切るしか手がないですね。    

 

> 一連の事象からは、岸田首相が「世襲」「男性社会」「派閥・学閥」を当たり前とする文化の中で生きてきたことがうかがえる。  >繰り返しになるが、これらは20~30年前から批判されてきた「古い価値観」である。   

 

そうですね。わが国伝統の閥力による戦いですね。    

 

> 岸田首相は国のトップとして「国民の声を聞く」ことに注力しているのかもしれないが、筆者の目には「古い価値観」から今一つ脱却しきれていないように映る。

 

国民の声を聞くのは、虫の声を聞くようなものかもしれませんね。これはわが国の伝統です。      

 

> そんな岸田首相および岸田政権の今後はどうなるのか。  >もしかすると、さらなる支持率低下によって政権基盤が不安定化し、「倒閣」の動きが出てくると予想する人が多いかもしれない。  

 

倒閣があれば、それは閥力によるものですね。   

 

> だが、これまでの批判とは矛盾するようだが、筆者はそれとは逆のことを考えている。   > 岸田首相が持つ、ある種の「古さ」が強みとなり、野党や与党内の反主流派といった「政敵」に難しい状況をもたらす可能性があるのだ。  

 

そうですね。 政敵にも伝統が必要ですね。     

 

> 筆者は本稿の冒頭で、岸田首相が支持率低下に動揺していないと指摘した。  >それは、まさに首相が「古いタイプの自民党政治家」だからなのである。   

 

そうでしょうね。わが国には新しいタイプの政治家は出るのが難しいでしょうね。   

 

> 小泉純一郎政権以降、自民党政権は内閣支持率の推移にデリケートに対応するようになった。   >それは、90年代の政治改革による「小選挙区比例代表並立制」の導入が背景にある(第1回)。   > 中選挙区制の時代、自民党だけが1つの選挙区に複数の候補者を立てることができた。>そのため、政権交代が極めて起こりづらく、自民党の候補者同士が「政策」ではなく「利益誘導」を争った。   > この時代の自民党政権は、現在ほど内閣支持率を気にすることなく「消費税導入」などの「不人気だが必要」といえる政策を実現していった。  > 一方、小選挙区制が導入されると、選挙は「利益誘導」から「政策」中心に次第に変わっていった。  >自民党も「一つの選挙区に立てられる候補者は一人のみ」となり、自民党の一党優位が崩れ、支持率の低下が政権交代に直結するリスクに直面した。  > そうした中で、第2次安倍政権が、持論を押し通して壊滅した第1次政権の反省を踏まえ、内閣支持率の推移に極めて敏感な政権運営を行ったことは記憶に新しい(第308回)。   

>「不人気だが必要」な政策を断行しても政敵は何もできない   

> だが、安倍政権が支持率に敏感に対応し、国政選挙に連勝を重ねたことで野党は弱体化した。   >自民党は小選挙区制ながら、衆参両院で圧倒的多数を確保している。  >現在の自民党は、中選挙区制の時代以上に「一党優位」の状況だといっても過言ではない、 > その状況下で、岸田首相という「古さ」を感じさせる首相が現れた。   

 

古さには安定感がありますね。   

 

>支持率低下に動じない「古い自民党」の価値観を持つ彼が、政権交代の危機感がない「一党優位」の状況下で政権運営を行うとどうなるか。   > 防衛増税のように「不人気だが必要」といえる政策を断行し、さらに支持率が低下したとしても、自民党の優位は揺るがない。  >政敵は支持率低下に付け込めず、手の出しようがないのだ。   

 

そうですね。ノンポリ・政治音痴の社会においては政治哲学の戦いは無意味ですね。      

 

> 岸田首相はただでさえ、解散権を行使しなければ3年間にわたって国政選挙がない「黄金の3年間」を手にしている。   >まさしく政敵は何もできない状況だ。   

 

日本人には哲学がない。だから、政治家には政治哲学がない。政治家がそれ以外の争いを選挙でするのであれば、平和主義のわが国では派閥争いになる。  

 

> なお、今国会で審議が予定される課題は、防衛増税に加えて以下の3つである。   

>・原発の60年超の運転を可能にする新規制制度を盛り込んだ「原子炉等規制法(炉規法)の改正案」   

>・不法残留する外国人の迅速な送還や、入管施設での長期収容の解消を目的とした「入管難民法の改正案」   

>・相対的に所得の高い75歳以上の医療保険料を24年度から段階的に引き上げることが柱の「健康保険法等の改正案」   

> いずれも、まるで「55年体制」を思い出させる、与野党が完全に激突するような政治課題だ。   >声の大きな野党の反対で、内閣支持率のさらなる低下が懸念される。  > だが、それゆえに、岸田首相の「古い政治家」としての持ち味が発揮されるかもしれない。   

 

そうですね。衆愚政治であっても数は頼みの綱ですね。   

 

>岸田首相が支持率の推移に一喜一憂せず、淡々と「不人気だが必要」な法案を可決していく可能性は大いにある。    

 

そうですね。ノンポリ・政治音痴の住民の世界ではそうなりますね。   

 

> そのとき、政敵は何ができるのだろうか。   

 

その時、政敵は時代の壁を突破する策を練らないと話になりませんね。    

 

> 通常国会の論戦が本格化していく中、「岸田内閣の支持率がさらに下がり、『岸田降ろし』が始まる」という一般的な論調とは別の見方をしてみると、政局を見通す上での幅が広がるはずだ。   

 

そうですね。政治家は新しい世界を語る必要がありますね。そうでなければわが国には夢も希望も存在しない。   

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。人々はその日暮らしを余儀なくされている。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

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閲覧数96 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/02/22 20:57
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