2023年10月10日(火) 

 

>昭和20(1945)年8月、戦争に敗れて連合軍に進駐された日本は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による間接統治を受け、その占領方針と指示をうけて政策を実行、農地解放、財閥解体、日本国憲法公布などを行った。   

>日本が軍事的にふたたび脅威となることのないよう、陸海軍は徹底的に解体され、また、9月19日に発布(施行は21日)したいわゆる「プレスコード」で、かつての日本軍を称揚したりGHQの政策に異を唱えたりする言論は厳しく統制された。   

>ここでは二度に分け、終戦直後の日本の新聞はなにを報じたのかを振り返ってみたい。   

>第一回は、昭和20年8月15日から翌昭和21(1946)年元日に掲載された天皇の「人間宣言」までの、新聞の「内省」について振り返る。   

>(なお、当時の新聞記事は旧漢字、旧仮名遣いだが、ここでは現用漢字、現代仮名遣いに直す)   

>マスコミの方針転換   

>戦時中、マスコミ各社はこぞって陸海軍への献金を奨励し、また戦意高揚のための歌を公募し流行させた。   

>たとえば、朝日新聞は「父よあなたは強かった」「兵隊さんよありがとう」、毎日新聞社は「露営の歌」、讀賣報知新聞は「空の勇士」「軍神岩佐中佐」、日本放送協会(NHK)は「海行かば」、大日本雄弁会講談社は「出征兵士を送る歌」などである。   

>内閣情報局の後援のもと、「欲しがりません勝つまでは」「『足らぬ足らぬ』は工夫が足らぬ」のような標語公募を主催したのも、読売新聞社、東京日日新聞社、朝日新聞社、それに大政翼賛会だった。   

>そんなマスコミが、戦争が終わってどのように方針転換を図ったか。   

>かつて戦意高揚の急先鋒ともよべる新聞だった朝日新聞を中心に見ていこう。    

>昭和20(1945)年8月15日、天皇による戦争終結の大詔が渙発(かんぱつ)され、この日の正午、天皇自らラジオで国民にそのことを伝えた。    

>「玉音放送」である。    

>前日の8月14日の一面トップ記事が「大型水上機母艦撃沈 潜水部隊 沖縄南東海面で」であったのとは全く対照的に、15日は「戦争終結の大詔渙発さる」の大見出しが上段の左右いっぱいに踊り、続いて「新爆弾の惨害に大御心 帝国、四国宣言を受諾 畏し、万世の為太平を開く」などの見出しが並ぶ。   

>社説「一億相哭の秋」では、〈思えば三年有余の昔、かの画期的な宣戦の大詔を拝した時、誰が今日のことあるを予想したであろうか。〉と述べ、昭和18(1943)年、「天声人語」より名を変えていた「神風賦」には、〈責は何人が負うべきか、などというなかれ(中略)各人、深く静かに思いをひそめて、自ら反省すべきである〉などと述べているが、同時に2面には、8月14日、鹿島灘沖に出現した敵機動部隊を攻撃、「空母、巡艦を大破 荒鷲、機動部隊を捕捉」とか、「P51(米戦闘機)百機来襲 三重愛知岐阜へ」「関東、福島、新潟等へB29二百五十機来襲 大阪、広島にも」と、ぎりぎりまで戦闘が続いていたことを示す記事も掲載されている。   

>8月16日の1面にも、15日に敵艦上機250機が来襲、うち9機を撃墜、2機を撃破したという記事が載った。    

 

‘勝った勝ったの負け戦’ ですね。   

 

>「自らを罪するの弁」   

>さて、一部をのぞく日本陸海軍部隊に対し、大本営から停戦命令が出されたのは8月19日、その刻限は「玉音放送」から6日半が経った8月22日午前0時である。   

>8月23日、朝日新聞は、初めて戦時中の新聞報道についての反省を明らかにした社説「自らを罪するの弁」を掲載した。   

>そこには次のように書かれている。   

>〈(前略)思うに事志と違って邦家が今日の悲運に立ち至ったについては、天の時、地の利ともに因をなしているとはいえ、人の和についてなお疎漏な点があったことは否めない。   

>然らばその点に対する責任は、決して特定の人々に帰すべきではなく、一億国民の共に偕に思うべきものであらねばならぬ。   

 

一億総懺悔の提案ですね。   

 

>さりながら、その責任には自ら厚薄があり、深浅がある。   

 

日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任がない。人々は敗北の責任者の所在を指し示すことができない。   

 

>特に国民の帰趨、世論、民意などの取扱いについて最も密接な関係を持つ言論機関の責任は極めて重いものがあるといわねばなるまい。   

 

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)  

 

>この意味において、吾人は決して過去における自らの落度を曖昧にし終ろうとは思っていないのである。   

>いわゆる「己を罪する」覚悟は十分に決めているのである。   

>過去における周囲の情勢と、その間に処し来った吾人自身の態度とについては、多くの場合、やむを得ない事情もあり、それぞれ一定の理由も説明せられないでもない。   

 

事の次第、成り行きの事ですね。意思の無い人間にはそれしかない。    

 

>(中略)   

>邦家をこの難局に立ち至らしめた責任全体は同胞全体の持つべきものであり、特に吾人言論人の罪たるや容易ならぬものがある。   

>吾人は一面過去における吾人の責任を痛感し、如何にかしてこれを償わんと苦慮しつつ、他面、明日の言論界の雄健なる発展を望んでやまないものである。   

 

人人により考えの内容は違う。しかるに日本人は議論が出来ない。’議論をすれば喧嘩になります’ と言う。だからなれ合うしかない。  

‘なれ合い’とか‘なあなあ主義’は、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませることである。    

 

>新首相の宮殿下が十七日の御放送において「活発なる言論と公正なる世論に期待」せられた御趣旨にも副い奉る我が言論界に希望を繋ぎつつここにまず己を罪せんとする所以である。〉   

>「慙愧の念で胸さく」   

>文中、「新首相の宮殿下」とあるのは、鈴木貫太郎内閣に代わって8月17日、組閣の大命を受けた東久邇宮稔彦王のことである。   

>記事を読むと、言論界の責任を認めながらも謝罪はせず、また「己を罪する」と言いながら新首相の言葉をエクスキューズにして「我が言論界に希望を繋」ごうとしているあたり、まだそれほど反省しているようには見えない。   

 

そうですね。日本人には意思が無い。意思の無い人間には加害者意識がない。だから深い反省には至らない。口先だけでものを言う。    

意思がなければどうなるか。受動があって能動がない。だから、被害者意識があって加害者意識がない。罪の意識もない。これはアニマルも同じである。罪の意識のある人たちにとって、罪を知らない人たちは恐ろしい人達である。

‘罪悪感を国民に植え付けるプログラム’ (WGIP: War Guilt Information Program) とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画ですが見事に失敗しました。カエルの面に水でした。意思の無い人間に罪の存在を理解させるのは難しいからです。

これは自虐行為の勧めになる。従ってわが国の全ての宗教は罪と離れたところに存在します。罪の意識に苛まれる病める魂の持ち主を救済する必要がないからです。 

 

>もっとも、一面に「米英ソの世論は不満 ”対日処理を手厳しく”」などという記事が掲載され、先の見えないこの時点では、いまだ方針転換までは考えられなかったのかもしれない。   

>むしろ、この日の2面に掲載された作家・吉川英治の談話「慙愧の念で胸さく」と題した一文のほうが、より切実に読者に響いただろう。   

 

これは歌詠みですね。原因究明にはなっていませんね。

'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)            

 

>〈我々は戦に敗れたのだ。   

>憤激しているもの、嘆き悲しむもの、いま日本人の胸底は敗戦の悲しみと憤りに煮えくり返っているのだ。   

>親に死別しその妻、その子供たちが枕頭に座し嗚咽しているとき、その耳元に説教を聞かせたとてどうにもならぬ。   

>敗戦の嘆きに思い切り泣かせるべきだ。   

>ラジオの放送員が口馴れした口調でしゃべることや、新聞のお説教記事にはむしろ不快な感が起きてくる。   

>これは大衆の罪ではない。   

>国民に偽りない実情を知らせ、然るのちはっきりと方向を示してやらねばならぬ(中略)   

 

現実直視とその考察が必要ですね。     

 

>現代の日本人は少し思い上がっていたのではなかろうか。   

 

そうですね。序列思考 (上下思考) の為せる業でしょうね。   

 

>世界の一等国に伍していたのは我々の力ではなかったのだ、みんな明治時代の遺産であったのだ、我々の先祖が築き上げてくれたものである。   

>現在の日本人が何を建設しているか、自分は慙愧の念に胸が張り裂けるようだ〉   

 

売り家と唐様で書く三代目。   

 

>また同じ日の紙面には、連合軍の進駐に備えて、「外国兵近づくとも 毅然、冷静に扱え」「進駐前の心構え」「進駐後の心構え」といった見出しの記事が掲載されているのが目を引く。   

>誰もが、これまで経験のなかった旧敵国の軍隊による占領統治に対し、戦々恐々としていたのだ。   

 

そうですね。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。  

 

>米軍先遣隊150名が日本海軍厚木基地に着陸したのは8月28日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が厚木に降り立ったのは8月30日のことである。   

(略)   

 

 

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閲覧数65 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/10/10 16:39
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