2024年08月23日(金) 

 

>テレ朝news   >学童疎開船を米軍が攻撃 「対馬丸」撃沈から80年   >テレ朝newsによるストーリー・   >13時間   

>学童疎開船を米軍が攻撃 「対馬丸」撃沈から80年   

> 太平洋戦争中、学童疎開船「対馬丸」がアメリカ軍に撃沈されてから、22日で80年です。

> 那覇市では、慰霊祭が行われました。   

> 1944年8月22日、沖縄から九州へ疎開する子どもなどを乗せた「対馬丸」は、悪石島の沖合でアメリカ軍の魚雷攻撃を受け、沈没。784人の子どもを含む、1484人が犠牲になりました。   

 

犠牲者の方々に哀悼の意を表します。   

 

> 生存者で、母と兄弟4人を亡くした男性は、孫と訪れました。   

>生存者 宜志富紹心さんの孫 厚哉さん(25)   

>「語りたくても語れないくらいの思いを背負ってきたオジーの必死になって生きてきたこの命を、私たち子や孫が長生きとか楽しく生きることが、命どぅ宝の意味かなと」   

>生存者 宜志富紹心さん(91)「戦争はね、もうこりごり」  

 

そうですね。もうこりごりですね。それで済めば我々日本人は万々歳ですね。  

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ) でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日。 

残念ながらわが国の原爆開発はアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕は避けることができた。めでたし めでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘命 (ヌチ) どぅ宝’(何をおいても命こそが大切である。)ではなかったのか。  

‘封建国家で最も安価な資源は人命だが、我々にとっては、最もかけがえのないのは国民だ’(ウクライナ軍のワレリー・ザルジニー総司令官)   

 

日本人には意思が無い。だから、加害者意識がない。あるのは被害者意識ばかりである。意思のあるところに方法がある。日本人には方法が無い。だから他力本願・神頼みになる。   

 

対馬丸撃沈はアメリカ軍の誤りです。では日本軍には誤りが無かったか。

自分がしたことを覚えていないで、自分がやられた事ばかりが心に残っている。だから良心に恥じることなく天真爛漫な気持ちで供養を長々と続けている。これが日本人の特徴である。   

‘罪悪感を国民に植え付けるプログラム’ (WGIP: War Guilt Information Program) とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画ですが、これが見事に失敗しました。カエルの面に水でした。日本語文法には意思 (will) が無い.

意思の無い人間に罪の存在を理解させるのは至難の業だかからです。その結果わが国の全ての宗教は罪と離れたところに存在します。罪の意識に苛まれる病める魂の持ち主を救済する必要がないからです。罪の意識の無い人には深刻な反省は起こらない。その結果、’もうこりごりだ’ と歌詠みにも似た感想を漏らす程度で済ますことになります。あやまちを回避する術を学習することも無く、また同じ過ちを繰り返すことになります。 

 

意思がなければどうなるか。受動があって能動がない。だから、被害者意識があって加害者意識がない。罪の意識もない。これはアニマルも同じである。罪の意識のある人たちにとって、罪を知らない人たちの立ち上がりは恐ろしい。

 

 

 


閲覧数25 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/08/23 17:14
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