2024年12月13日(金) 

 

 

>毎日新聞   >「半分は恥ずかしさと悲しさ」授賞式後、被爆者が明かした本音   >毎日新聞によるストーリー・   >7時間・   

> ノーベル平和賞の授賞式に合わせてノルウェー・オスロに渡航した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表団やツアー参加者は現地時間の12日朝、帰国の途に就きます。   

>授賞式後をどのように過ごしたのでしょうか。   

>一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」スタッフの浅野英男さん(28)による報告の最終回です。   

>「複雑な気持ちを持っている」   

> 授賞式から一夜明け、11日午前は現地の高校生と被爆者のみなさんが交流する「被爆者ユースフォーラム」に参加しました。   

> 日本被団協代表理事の田中聡司さん(80)やブラジル、韓国の被爆者の方が証言をし、受賞の受け止めを語りました。   

> そこで田中さんの言葉にハッとさせられました。   

>「自分はいま複雑な気持ちを持っている」というのです。   

> 田中さんはこう続けました。   

>「ノーベル平和賞受賞の喜びが半分、もう半分は恥ずかしさと悲しさがある。   

>私が住んでいる国が、核兵器を禁止して被害者を援助すると決めた核兵器禁止条約にそっぽを向き続けているからです」   

> 受賞を受けて、被爆者の声を聞き、大きな理想としての「核兵器のない世界」に注目が集まり関心も高まりました。   

> しかし、被爆者のみなさんが達成したいと長年思ってきたことを思うと、現実はまだ遠く、課題も残されています。   

>被爆者の声をどう受け止めるか   

> 日米両政府はこの間、米国の核を含む戦力で日本を守る拡大抑止の協議をする日程に入りました。   

>日本被団協が求めてきたものと反対の方向に進んでいます。   

> 北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるノルウェーでも、安全保障のために核兵器は必要という論理があります。   

> 核廃絶を訴える現地のNGOの人たちも、葛藤を抱えながら活動していると感じました。   

> 抑止か廃絶か――。   

> その対立にどこまで意味があるでしょうか。   

>問うべきは「核兵器廃絶は理想主義かどうか」ではなく「どうすれば廃絶を実現できるか」です。   

> 現地に滞在して、被爆者が語る体験やその言葉一つ一つが聞いた人の心に届き、歴史を絶対に繰り返してはならないと思う。   

>そのことに国境はないと感じました。   

> 一方で、核兵器の問題を考えるときに少し違いがあるとも思いました。   

>核廃絶に向けてもっと議論を   

> 11日夕にノーベル平和センターで始まった企画展を見学した時のことです。   

>日本被団協や被爆者の活動の紹介などが続き、最後に、被爆者のメッセージを緊迫した国際情勢と関連付けて紹介する展示がありました。   

> 案内してくれたスタッフは「なぜ今まさに自分たちが被爆者の声に耳を傾けなければならないのかというテーマで作ってある」と説明してくれました。   

>「世界は厳しい状況にあるが、同時に希望も存在していて、自分たちが進んでいくべき明るい未来の方向性もあると示したかった」とも。   

> もちろん、その切迫感の背景には、ウクライナやロシアとの地理的な近さもあるでしょう。   

> しかし、日本に目を向けると、どうでしょうか。   

> 被爆体験の継承や証言の大切さは広く理解されています。   

>その上で、被爆者のメッセージをしっかり学び、だからこそ今の情勢を踏まえて核兵器を使わせず、廃絶していくためにどうしたらいいかという議論をもっとしていくべきだと思いました。   

 

日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。責任のない人間には信頼がない。    

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)  

民、信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]    

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)  

 

> ノーベル賞委員会のヨルゲン・バトネ・フリードネス委員長(40)は授賞式の演説で「世界の安全保障が核兵器に依存するような世界で、文明が存続できると信じるのは浅はかだ」と指摘し、「核のタブーを守り続けるために努力しようではありませんか。   

>私たちの生存は、それにかかっているのですから」と呼びかけました。   

> 受賞を受けて、次にどう行動するか。   

>それが問われていると思います。   

 

古びた山門の両脇に立つ仁王像は、不法を見て極度の怒りを発している。そして自己にその矯正力のあることを示して脅している。現実を動かすこのやり方を我々も学ぶべきである。    

トランプ次期米大統領はウクライナのゼレンスキー大統領に停戦をしろと圧力をかけた。停戦しなければ、武器援助を止めると脅した。  

彼はプーチン大統領に停戦しろと圧力をかけた。停戦しなければ、ウクライナに武器援助をすると脅した。   

彼は自己の持っている力を示して停戦の実現に可能性のあることを示した。

我々はこの仁王様の態度を取入れなくてはならない。我々は自己の生涯を単なる歌詠みに終わらせてはならない。  

 

>【聞き手・椋田佳代】   

>あさの・ひでお   

> 1996年、茨城県生まれ。   

>神戸大大学院修了後、米ミドルベリー国際大学院モントレー校で核政策などを学ぶ。   

>日本原水爆被害者団体協議会などでつくる「核兵器廃絶日本NGO連絡会」のインターンとして、2022、23年の核兵器禁止条約の締約国会議に派遣された。   

>24年4月から一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」専従スタッフ。   

 

我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく:  世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても国家目標に到達しない。だから、政治はわが国の若者にも夢と希望を与えない。

心ここにあらざれば、視れども見えず。(心が上(うわ)の空の状態では、じっと見ているようでも実際には何も見えていない。精神が集中していないと何もできない事)    

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数8 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/12/13 23:50
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