俺は、この歳になるまで、 何ひとつ己について考えてみたことはなかったんだ。 本当に恥ずかしいよ。 第16作『男はつらい 葛飾立志篇』から ある日、寅さんは、柴又駅前の喫茶店で読書をしている美しい女性に出会い「姐ちゃんは本が好きかい?」と声をかけます。 寅さんが向学心に目覚める第16作『葛飾立志篇』のマドンナ・筧礼子(樫山文枝)との出会いのシーンです。その帰り道、参道を歩きながら「姐ちゃんは何のために勉強しているんだい?」と寅さん。 この問いは、東大で考古学の研究をしている礼子にとって「何のために生きているのか」と言われたのも同然だったのです。答えに窮する彼女に、寅さんは明快に「己を知るためよ」と言います。それは、礼子自身の存在理由に関わることばだったのです。 このことばは、ぼくたちにも感銘を与えてくれます。「人間は何のために勉強するのか」。これは永遠のテーマでもあります。 なぜ、寅さんがその真理を語ることだできたのでしょうか? 寅さんは、山形県寒河江市で、昔世話になったお雪さんの墓参りで、慈恩寺の和尚さん(大滝秀治)から、彼女が男にだまされ苦労した話を聞きます。お雪さんは「私に少しでも学問があれば、男の不実を見抜けたものを、学問がないばかりに一生の悔いを残してしまった」と和尚さんに話したそうです。 自分も学問がないばかりにつらい思いをしたと共感する寅さん。「己の愚かさに気がついた人間は、愚かとは言いません」と和尚さんは四十の手習いを薦めます。 「あなたは、もう利口な人だ」と言われ、発奮した寅さんは、学問を修めようと決意して帰ってきたのです。というわけで「己を知るためよ」は、和尚さんからの受け売りだったのです。こうして寅さんの受け売りが、茶の間の話題となり、博やさくら、マドンナがその本質について語り合うことで、作品のテーマが明確に伝わってくるのです。 やがて、とらやに下宿中、礼子が家庭教師となり、日夜勉強に励む寅さんでしたが、向学心よりも恋心が勝って、おなじみの展開となるわけです。それが寅さんの「己」でもあり、存在理由だというのが、このシリーズの楽しさです。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |