昨夜テレビでPL学園時代のことを語っていました。
めざましのカチで止める。2時ごろ寝て6時起床とのことだった。
授業中寝ていたそうです。
まるで、軍隊生活のように苦労されたようでした。
その中で気配りを学んでいくそうです。
あの穏やかの顔をされていますが、甲子園で勝ち抜くということは
やはり大変なことに耐えて頑張れたのですね。
まーちゃさんの文とだぶりました。
私の座右の銘は「球道即人道」である。 この言葉はPL学園高校時代の恩師である中村順次監督(現・名古屋商科大学野球部監督)がよく口にしていた言葉で、卒業生には「球道即人道 中村順司」と筆で書いた色紙をプレゼントしてくれていた。元々は野球に力を入れていた御木徳近(みきとくちか)教祖の言葉で、感銘を受けた中村監督が部訓として使っていたのだそうだ。 野球に打ち込む姿は、人生に向き合う姿勢に等しい、しっかりした人間、強い人間になろうと努力しなければ、野球でもよいプレーなどできるはずがない。そういう意味だと理解している。高校生の頃はなんとなくしか分かっていなかったと思うが、年齢を重ねるごとに言葉の重みを感じていた。 中村監督の教えは、PL学園の野球教育そのものだった。当時のPL学園は全寮制で、集団生活はとても厳しいものだった。一年生の時は先輩より早く起きるのは当然なのだが、先輩が目覚めないように、目覚ましを鳴らして起きるのは禁止だった。起床時間を示す針と短針が重なる「カチッ」という小さな音で起きなければならなかった。「絶対に起きなければいけない」。そう思っていると不思議と起きられた。 先輩に「おい、ちょっと来てくれ」と呼ばれて部屋に入ると、「そこのリモコン取ってくれ」と言われることもあった。「自分で手を伸ばせば取れるでしょ」と思ったが、そんなことは言えるわけがない。上級生の指示は絶対で、一年生の時は上級生の「奴隷」だった。厳しい環境だったが、今でもゴルフで朝が早い時などは目覚ましが鳴る前に起きることができる。PL学園時代に鍛えられたことが、40歳を越えても身についているわけだ。 周囲への気配り、目配りという部分でもだいぶ鍛えられたと思うが、忘れられないのが、中日で活躍した立浪和義さんの気遣いだった。 高校時代に監督から「おい、ちょっと爪切り取ってくれ」と言われた時のことである。爪を切る刃の部分を自分の方へ向けるのは当然。驚いたのは爪切りをあらかじめ開いて渡して、すぐ爪を切れるようにしていたことである。 そこまで細やかな心遣いをできる十代がいるだろうか。改めて「この人はすごい」と思った。この気配り、目配りというのは野球に通じる。守っている時はランナーの動きはもちろん、ランナーコーチであったり、相手ベンチの些細な動きから、次に何が起こるかを想像することができる。一言でいえば洞察力なのだが、野球をしている時だけで鍛えられるものではないはずだ。 立浪さんの気遣いは引退後の今も続いている。海外で一緒にゴルフを回った時のことだ。一緒にラウンドしていた人とホットドッグを買って食べたのだが、立浪さんは自分の紙ナプキンの上にケチャップの上澄みの透明な液を出したうえで、ケチャップを適量つけて手渡したのである。こうした気遣いは間違いなく現役時代のプレーでも発揮されていたはずだ。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |