ちょとさん
コメントありがとうございます
下記検索によると 伊達方の方なんですね。
江戸後期の歌人。通称為蔵,惣太夫。号は柳園,橿が本など。遠江国佐野郡伊達方村(静岡県掛川市)に生まれる。神童,奇童ともてはやされ,6歳のときに掛川侯に召されて歌を詠じたという逸話を伝える。冷泉為章,栗田土満に入門。学問的には国学系の色彩が強いが,詠歌は堂上風の温和な作風も目立つ。幕末の歌人としての名声は高く,門人は300人を超えると伝える。
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国文学者とは聞いていたが、似ていても『文』がないのは この歳になって初めて出会った。 調べれば、「国学者」とは - 和学者、皇学者、古学者とも。 古事記・万葉集などの日本の古典を研究して、日本の固有思想・精神を究めようとする学問をしている方々。 江戸中期に興り、賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤・荷田春満らは国学の四大人として特に有名。 ・・とネット検索で例がある。 そして遠州国学の中心人物の一人だった栗田土満は、 江戸時代の中ごろ元文2年(1737年)に、 城東郡平尾村(菊川市中内田)の平尾八幡宮の神主の長男として生まれました。 八幡様の前の県道を渡ると、緑のきれいな茶畑が広がっています。ここが土満の生まれたところで、今も、そのころの屋敷のあった跡が残っています。 明和4年(1767年)年に、31歳で賀茂真淵という先生の教えをうけて勉強し、39歳で本居宣長という先生について勉強した国学者(日本ならではの精神を研究する学問を勉強した人)です。また歌人としても有名でした。 土満54歳の時、(1790年)に、学び屋を平尾の地に完成させました。「岡廼舎:岡の屋(おかのや)」といわれ、今の研究室、図書室のようなものです。そこで、「国学や和歌」についてみんなにいろいろ教えたということです。土満が書いた本はたくさんありますが、「日本書紀」を解説した本「神代紀葦牙」なども書き、ずいぶんよい本だと評判になったようです。昭和54年には神社境内に記念の石碑も建てられました。 石川依平(歌人)、栗田真菅(歌人)、小国重年(小国神社)ら、栗田土満の教えをうけた人も多くいました。 土満は、文化8年(1811年)、75歳でなくなっています |