震災のあと、何かせずにはいられないとあせる自分がいた。 今は自分の仕事や役割を粛々とこなし、日常をきちんと生きる、笑うときは笑おうと努めている。 それでも、ちょっとしたことに涙ぐみ、茨木のり子ではないけれど「頼りない生牡蠣のような感受性」に自分でもびっくりしている。でも、それでいいんだとも思う。揺さぶられるままに感じることこそ、今、自分ができることなのかなと思うのだ。 様々な人の提言を読んだり聞いたり。 その中で、佐野眞一の『響きと怒り~事件の風景・事故の死角~』(日本放送出版協会・2005年刊)で紹介されていた短歌に心がとまった。 JR西日本福知山線の脱線転覆事故、雪印の食中毒事件、JCO臨界事故、阪神淡路大震災などについて書かれた本だが、震災後、新聞社に寄せられた短歌の中の一首が紹介されていた。 「圧死せし友を悲しむ私は生きて暗夜に生理始まる」 中学生の女の子の詠んだものだ。 |