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2013年02月24日(日) 
大東図書館で行われた歴史講座「高天神城の攻め方・守り方からみるお城のあれこれ」を聴きに行ってきました。

普段、お城の本を読んで、城跡を見学してなんとなく分かった感じでいたのですが、研究の最前線に立つ先生から直にお話を伺うと、へぇ~と感じることがいっぱいでした。

建築物や石垣などの遺構がほとんど残っていない近世以前の土のお城って何を見るべきなのかよくわからなくて、以前はあまり興味が湧きませんでした。
最近はお城の構造の知識もだいぶついてきましたが、うっそうと木々が茂った山の中でそういったパーツを探すのはなかなか困難なことでした。

今日は、発掘の成果や高天神城が当時おかれた状況をもとに高天神城がどのようなお城であったのかを説明していただきました。

早速、また高天神城ののぼってみたくなりました。

図書館の方、素敵な企画ありがとうございました。

閲覧数647 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2013/02/24 21:22
公開範囲外部公開
コメント(3)
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  • 2013/02/26 20:34
    shinobiさん
    私も絶対に行きたかったのですが、勤務のため行くことが出来ませんでした。

    高天神城は大河ドラマや黒沢映画にも出て来るくらいで、歴史上重要な位置にあったことが理解できます。
    その点、掛川城はあまり取り上げられないですね!
    「功名が辻」でも姿はほんの一瞬でした。
    次項有
  • 2013/02/27 17:26
    鉛筆駿河守さん
    >shinobiさん

    当時は、海岸線が現在よりもかなり北側にあったようですね。
    高天神城のまわりも湿地帯というか湖沼のような感じだったようです。

    陸上交通の輸送力が限られていますから、海上交通の重要性は今より遙かに大きい時代、高天神城や横須賀城の重要性というのは、今の僕たちの感覚よりもかなり高かったのかもしれません。

    お城の研究は、このような歴史地理学や考古学、古文書学、建築学などひじょうに多岐にわたっています。

    第一線で活躍してらっしゃる先生から最新の学説や研究成果のお話を聞ける機会は学会や研究会にでも所属していない限りなかなかチャンスがないですね。

    こうしたお話をかみ砕いて皆さんにお伝えする仕事ができたらいいなぁ、と考えている今日この頃です。
    次項有
  • 2013/02/27 20:02
    shinobiさん
    海のない甲斐の武田軍としては、まずは海上を制したかったんでしょうね!
    考えすぎかもしれないですが、海上から上洛などを考えていたかもしれません。

    掛川城などは、そのあといつでも取れると思っていたことでしょう。

    このような戦国ロマンを、まず子供たちに伝えたいですね!
    次項有
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