隣のとろろ園さんが紹介してくれた「緑十字機の記録」を図書館で借りて読んでみました。大変面白かった。身近な磐田の鮫島海岸でこんなことがあったとは知りませんでした。地元の人の協力もあり遅延することなく済み今の平和があるのかと思いました。8月15日ポツダム宣言受諾は私は戦勝国側と日本代表で事前に協議で決められていたものと勝手に思ってました。この話はポツダム宣言を受け入れるので恭順するように天皇陛下の詔勅あり、その条文を作るため戦勝国側と協議に行ってくる話しでした。かいつまんで話しますと協議に行くのをいやがる降伏軍使の16名の人選、それを運ぶ搭乗員11人の人選、何とか動く飛行機一式陸攻4機を選び、復員して人員不足の中、何とか機体を白く塗り、日の丸部分は消し緑十字を描くことができた。8月19日、7時18分2機は囮として飛ばし、そして軍使等を乗せた緑十字機2機が木更津飛行場を離陸した。味方であった日本軍機、徹底抗戦を続ける厚木飛行隊に撃ち落されそうになる為迂回し、佐田岬付近では敵であった米軍戦闘機に護衛され沖縄の伊江島に着陸。13時30分軍使等16名は米軍機でマニラへ。8月20日、17時45分、軍使一行協議を終え伊江島へ戻る。一刻も早く本国へ知らせ受け入れ準備をする為1番機に主要メンバーを乗せ18時40分伊江島離陸。2番機はトラブルで修理をし翌日飛ぶことになる。1番機は燃料切れの為、23時55分磐田の鮫島海岸へ須藤大尉操縦の下、不時着する。奇跡的に軽傷のみで全員助かる。3時間ほど軍使一行滞在し、地元民も協力する。8月21日、7時浜松基地から軍使一行爆撃機飛龍で出発。8時に調布飛行場に着く。2番機は14時木更津飛行場に着く。
8月9日、ソビエト軍満州、樺太攻撃開始 18日 ソビエト軍千島列島攻撃開始
8月28日、進駐軍先遣隊厚木着 30日マッカサー司令官厚木着
9月2日、降伏文書調印
先遣隊に一発の発砲も無く、また遅延工作と見られることも無く無事進駐軍を受け入れることが出来、降伏文書調印も出来よかったと思う。発砲事件があったり、遅延工作と見られたりしたら空襲は続けられ、三発目の原爆も落とされたかも知れません。また、降伏文書調印が遅れれば北海道、、東北くらいはソビエトの領地となっていたのかも知れません。
何か考えさせられる本でした。
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