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2015年08月09日(日) 
隣のとろろ園さんが紹介してくれた「緑十字機の記録」を図書館で借りて読んでみました。大変面白かった。身近な磐田の鮫島海岸でこんなことがあったとは知りませんでした。地元の人の協力もあり遅延することなく済み今の平和があるのかと思いました。8月15日ポツダム宣言受諾は私は戦勝国側と日本代表で事前に協議で決められていたものと勝手に思ってました。この話はポツダム宣言を受け入れるので恭順するように天皇陛下の詔勅あり、その条文を作るため戦勝国側と協議に行ってくる話しでした。かいつまんで話しますと協議に行くのをいやがる降伏軍使の16名の人選、それを運ぶ搭乗員11人の人選、何とか動く飛行機一式陸攻4機を選び、復員して人員不足の中、何とか機体を白く塗り、日の丸部分は消し緑十字を描くことができた。8月19日、7時18分2機は囮として飛ばし、そして軍使等を乗せた緑十字機2機が木更津飛行場を離陸した。味方であった日本軍機、徹底抗戦を続ける厚木飛行隊に撃ち落されそうになる為迂回し、佐田岬付近では敵であった米軍戦闘機に護衛され沖縄の伊江島に着陸。13時30分軍使等16名は米軍機でマニラへ。8月20日、17時45分、軍使一行協議を終え伊江島へ戻る。一刻も早く本国へ知らせ受け入れ準備をする為1番機に主要メンバーを乗せ18時40分伊江島離陸。2番機はトラブルで修理をし翌日飛ぶことになる。1番機は燃料切れの為、23時55分磐田の鮫島海岸へ須藤大尉操縦の下、不時着する。奇跡的に軽傷のみで全員助かる。3時間ほど軍使一行滞在し、地元民も協力する。8月21日、7時浜松基地から軍使一行爆撃機飛龍で出発。8時に調布飛行場に着く。2番機は14時木更津飛行場に着く。

8月9日、ソビエト軍満州、樺太攻撃開始 18日 ソビエト軍千島列島攻撃開始
8月28日、進駐軍先遣隊厚木着 30日マッカサー司令官厚木着
9月2日、降伏文書調印

先遣隊に一発の発砲も無く、また遅延工作と見られることも無く無事進駐軍を受け入れることが出来、降伏文書調印も出来よかったと思う。発砲事件があったり、遅延工作と見られたりしたら空襲は続けられ、三発目の原爆も落とされたかも知れません。また、降伏文書調印が遅れれば北海道、、東北くらいはソビエトの領地となっていたのかも知れません。
何か考えさせられる本でした。

なお、興味を持ち本を購入されたい方は TEL 0538-34-1043 岡部 栄一さんまで
1冊 2,000円 送料360円です。 

   

閲覧数3,670 カテゴリ日記 コメント8 投稿日時2015/08/09 23:29
公開範囲外部公開
コメント(8)
時系列表示返信表示日付順
  • 2015/08/10 19:02
    ちょっとさん、
    詳しく紹介いただいて、ありがとうございます。
    私的には、映画「日本の一番長い日」に匹敵する史実かと思います。
    12日の18時からの朝日テレビ、とびっきり静岡でも、取り上げらるようです。
    応援お願いいたします。
    次項有
  • 2015/08/11 04:14
    隣のとろろ園さん、コメントありがとうございます。
    本当に面白かったです。日本の重大な局面、こんな史実が身近なところであったとは・・・・
    鮫島海岸にいつか行ってみたいと思います。
    戦争終結に導いた「緑十字機不時着の地」くらいの案内看板があってもいいと思うが・・・
    12日、とびっきり静岡見ます。
    次項有
  • 2015/08/11 06:32
    彼は、墓碑にこの功績を刻むと語っています、

    ちょっとさんの感想、言っておきます。

    泣いて喜ぶでしょう。
    次項有
  • 2015/08/11 14:51
    放送予定が、本日になりました。
    朝日テレビ、6時15分からです。
    よろしくお願いいたします。
    次項有
  • 2015/08/12 06:37
    セレナーデさん、コメントありがとうございます。
    確かにドキドキしながら私もページをめくりました。
    こんな重大な時必ず行うであろう燃料確認、リットルとガロンの単位の誤り、同行者の中の徹底抗戦派による墜落覚悟の行動?燃料不足おかしいです。
    1号機の整備員の姓名が分からない。本の中では分からない人の姓名は墓の中まで持っていくとなっていたが・・・・誰かは分かっているのかも?
    また、1号機の搭乗員が2度と会うことが無かったとなっている・・・凄いことをしたにも関わらず・・・これも面白い。搭乗員は何をしたのか分かっているのかなあ。時代とは必要なとき必要な人間を輩出し用が済めば排斥する?
    本所が空襲され、高田で飛行場を造っていた母達は東山口の人は皆直ぐ帰れと言われ走って帰って来たという話を小さい頃聞いて戦争の話に私は興味を持つようになったと思います。実際、その時我家の雨戸の戸箱に20cm程の爆弾の破片が刺さり、その破片が小学校3年の頃まで家にありました。
    次項有
  • 2015/08/12 06:40
    隣のとろろ園さん、残念見逃しました。
    どんな風に放送されました?
    次項有
  • 2015/08/13 21:52
    ちょっとさん、

    著者の岡部さんが鮫島海岸を案内から始まりました。
    一刻も早い帰還を急ぐ降伏軍使一行の
    緊迫したやりとりを、
    不時着を目撃し、通報した地元の方が証言、本の内容に信憑性を上乗せした良い放送でした。
    次項有
  • 2015/08/14 04:57
    隣のとろろ園さん、放送内容ありがとうございました。
    太平洋戦争を終結させる中、重大な事件があった場所として、後世に残すため「緑十字機不時着の地」の看板か石碑くらいあってもいいのにと思います。
    次項有
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